考察50年以上の時間が経過していて、果たしてPTSDなどの所見があるのだろうか・・、誰もが疑問に思いがちな部分ではあるが、今回の調査で、5人の被害者のPTSDは存在することが明らかにされた。
それは、心理テストでも実証されたが、聞き取りでもそれを裏づける形となった。
しかしながら、中国山西省の性暴力被害者の診察を行ってきた桑山は、その被害者のPTSDが顕著に確認され、いまだに悪夢やフラッシュバックのような「侵入症状」に悩まされ、他者との交流を避けたり、その時の被害に関連するような刺激を避ける「回避症状」で人生をちじめており、動悸や不眠、めまいなどの自律神経系の「過覚醒症状」を持っていることに驚いた。それは50年以上もそのことを秘密にし、隔絶された感の強い僻地の村にひっそりと生きて、誰にもそのことを語れない環境下に置かれていたからだと推察したのである。だからPTSDはまさに瞬間冷凍されたような状態のままで、保持され、持続してしまってきたのだと・・・。
そのような「手つかずのPTSD症状」のような中国山西省の被害者たちの症状や、「癒しのレベル」から診ると、今回の韓国の被害者の場合は、中国のケースに比べて「語るところ」が用意されており、裁判の回数やその出席率の高さ、ソウルにおける「水曜デモ」のような抗議をする場面が成り立ち得ていること、「ナヌムの家」のようなある種の共同体が成立していることなどから、PTSDのレベルは低いか、ないしは「癒しの課程」が進んでいてPTSDが確認されない状況ではないかと予測していた。
しかしながら、予測に反してPTSDの所見が確認されたのである。
確かに裁判を通して、弁護士や支援する会メンバーとの交流は「癒しの課程」を大きくすすめるものであったと思われる。しかしそれがすなわちPTSD所見を消失させるものではないことも今回明らかになっていると思われる。それほどPTSDというものは深く重い障害なのであろう。改めて、それを痛感した状況である。
一方で、被害者の高齢化は深刻な問題である。
痴呆スケールでは「痴呆状態」と出なかったものの、高齢化による身体的不調は、さまざまなストレスを容赦なく生み出している状態である。今後この問題の早期解決を図っていかなければ、高齢化によるストレスがPTSDに輪を掛ける形となって、いっそう不安定かつ苦痛を強いる状況となることが予測される。
現実は、PTSDの症状を持ち、抑うつや不安に苦しんでいる状況が浮き彫りにされた。
心理テストの結果もさることながら、ハーマンの提示するPTSDにおける「トラウマの記憶の状態像」は、被害者の調書の中に無数にちりばめられていた。映像制(イコン性)の高まり、感覚の更新、瞬間冷蔵されたような形での記憶の保存・・、どれをとっても外傷性(トラウマの)記憶の特徴を備えている。彼女たちの一言一言や、時にはバランスを欠き、時間が入れ替わって、その都度答えが違うような返答の中に、こういった「外傷性(トラウマの)記憶」の特徴を読み取っていかなければならない。
単に「聞くたび違うから嘘を言っている」とか「あることははっきりしているのに、あることはうる覚えだから作り話だ」などという批判は、それ自体「トラウマの記憶」のメカニズムをわかっていないことの証明である。
ここで、ハーマンの3つの回復過程と性暴力、強制労働被害者について考えてみたい。
「心的外傷と回復」の著者、ジュディス・L・ハーマンはこういったトラウマからの回復に3つの回復過程を挙げている。
・安全の確保
・想起と服喪追悼
・再結合
である。
この被害者の場合はまず・安全の確保について、おおむね可能であったことが伺われた。つまり、自分の家や「ナヌムの家」などに保護され、ケアされているので、それが例えうわべだけであったとしても「安全の確保」はされていたと考えたい。
従って回復に関しての第1段階はまず何とかクリアしていたことになるだろう。
しかし次の第2段階、・想起と服喪追悼については、全く進まなかった。
つまりこの事件に関して語ることは全く出来ず、「恥ずかしい出来事」「誰にも言えない出来事」として心に閉じ込めてきたきらいがある。そうするとその忌まわしい記憶は日の目をみることなく、凍りついたまま心の中に陣取り、悪夢や白昼夢のように繰り返しその人の意識に侵入して脅かしてきている。
仮にこの忌まわしい事件のことを、周囲や家族に思う存分語れるような場所や機会が提供されていれば「想起」し、それを組み立てなおして「服喪追悼」することができたに違いないが、そういった環境は一切与えられなかったのである。
そのため、このトラウマはPTSDとなり、無意識の中に凍りついて一切の変更、修飾を受けない記憶としてがっちりと陣取られてしまったのである。そうしてトラウマからの回復は、この第2段階を一切経ることなく止まってしまったのである。
ましてや、第3段階の「再結合」は同じような苦しみや事件を経験した人、同じようなトラウマやPTSDに苦しんでいる人たちが寄り合って、励まし合い、「世の中にこんな事件に出会った人は自分だけではない。ここでくじけるのではなく、みんなと手をつなぎ分かり合い、その痛みを分かち合った上で、次の犠牲者が出ないために何らかの努力をしようではないか」といった形での「復活」を可能とするものである。
しかしこの被害者たちは、周囲の中でもひたすらその事実を押し隠し、「手を取り合う」どころかそれからひたすら逃げるしかなかった状況に置かれたのである。
近隣に同じような事件に遭遇した人がいたにせよいなかったにせよ、そういった被害者に対する周囲の理解は全くなく、集団として、この問題の心の癒しに対する動きなど一切なかったわけである。
そうして50年以上がすぎ、一向に癒しの第2段階から先進むこともなく、ひたすら忌まわしい記憶の「侵入」(=悪夢など)、「再体験」(="戦争の映画などが全く見れない"など)、「回避」(=思い出さないようにと、無理やり記憶を閉じ込めてきた)を経験し続けてきたわけである。
そして「忘れられないから苦しい」のではなく「PTSDだから苦しい」という事実への理解が重要である。
ここで重要なことは、「忌まわしい記憶が忘れられないから苦しい」のではなく、「忌まわしい記憶がPTSDと変形してしまっている状況だから苦しい」のであるということであり、「50年も忘れられなくて苦しいでしょうね」ではなく、癒しの過程が全く進まなかっために、その忌まわしい記憶が「PTSDとなってしまった」から"苦しい"ということなのである。
人間はもともと"忘れることが出来る"ように出来ているのだが、問題は、その忘れ方なのである。自然な形で「忘れて」いければよいところが、「変形して忘れかけている」ところに大きな苦痛が存在しているのである。
このように確実に50年を経ても尚、PTSDは存在し、それは人間の心を打ちのめし、著しい苦痛を与え続けてきていることが臨床的に証明された。
結語
私は精神科医として、2名の性暴力被害者、3名の強制労働被害者であった人と会い、自分がこれまでカンボジア、旧ユーゴスラビア地域で用いてきたPTSDを計る幾つかの質問紙を用い、かつ問診を行ない、そのPTSDや抑うつ、不安状態が存在するかどうかを検討した。
その結果、全ての人に著しいPTSDが確認され、かつ抑うつ、不安状態も著しいことが確認された。
原告のPTSD診断
PTSDの臨床的診断
ロールシャッハ・テスト
バウム・テスト
DSM−IVに関する診断結果
各人の証言を元に、再インタビューした際に得られたPTSDの所見