ユーモアがあってやさしかった朴頭理(パク・トゥリ)ハルモニへ
(追悼)朴頭理ハルモニ!安らかにお休みください!
2月19日午後6時20分ソウルのアニャン・メトロ病院で朴頭理さんは81歳の生涯を閉じられました。直接の死因は胆嚢ガンでしたが、この2年間は火傷と怪我により病院で寝たきりの状態でした。

1940年に数え17歳で台湾に連れて行かれ、戦争が終わるまで日本軍の「慰安婦」をさせられました。戦後も苦労して釜山の市場で野菜を売って生計を立てていました。92年に挺身隊問題対策釜山協議会に申告し、関釜裁判の原告となり、日本国に謝罪と賠償を求めました。体が弱ってきて仕事が続けられず92年にナヌムの家に入居しました。裁判のムードメーカーでもあった彼女は山口地裁下関支部での本人尋問のとき、裁判長から「あなたの職業は?」と聞かれ「日本大使館前でデモもしています」と答え、法廷内が笑いに包まれました。下関判決の時は法律的には勝っていても、即時賠償を願うハルモニにとっては敗北でしかなく、怒って弁護士を殴りつけたりしました(やっつけたい裁判長がいなくなっていたので代わりに)。広島高裁で逆転敗訴判決を受けた時は「シロ!(嫌いだ!)」「シロ!」と叫んで廊下の長椅子に座り込んでしまわれました。

ハルモニが永遠に旅立たれた実感がなく、思い出は次々と蘇ります。

ハルモニはやれることはして逝かれました。後は私たちの問題です。 ハルモニ!出会えて良かった。ありがとう。安らかにお休み下さい!