関釜裁判の流れ |
1992年
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韓国釜山市などの元日本軍「慰安婦」と元女子勤労挺身隊の計10人が、日本国の公式謝罪と賠償を求めて山口地裁下関支部に1992年12月以来3次にわたり提訴しました。
(1次)92.12.2 (2次)93.12.1 (3次)94.3.14
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そして、6年後
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98年4月24日、「慰安婦」原告に一部勝利判決を得ました!(下関判決)
この判決は元「慰安婦」被害者に対する戦後の国の立法不作為を認める画期的判決です。
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しかし、3年後
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2001年3月29日、広島高裁は元慰安婦原告に対して「逆転敗訴」・元挺身隊原告に対して「全面棄却」の判決を出しました。
4月12日に最高裁に上告しました。
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2003年
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2003年3月25日、最高裁判所(第3小法廷)は控訴棄却。原告は敗訴確定しました。 |