下関判決について
判決は,被害者=原告の証言の信憑性を暖かい心で認定。
「被害者の証言は信用できない」という人々への痛烈な批判となりうる。1998年4月27日、山口地裁下関支部で関釜裁判の一審判決が出た。1992年12月25日に第一次の提訴を行なってから、5年半あまりの審議を経て、「従軍慰安婦」関連の裁判では最初の判決である。
この判決では、「慰安婦」問題への日本国の法的責任を明確に認め、国の立法不作為(必要な法律を作らないこと)に対して、元「慰安婦」原告3人に各30万円の賠償を命じている。また、被害そのものに関しても、国に出来るだけ早く賠償立法(賠償を行なう為の法律を作ること)を行なうように命じたに等しい判決であった。
今までに多くの戦後補償裁判が行なわれているが、不十分とはいえ、、国の責任を明確に認めた判決は、この下関判決が今のところ唯一であり、画期的な判決といえる。(ただし韓国・朝鮮人BC級戦犯訴訟などの判決で、国に補償立法を促すものもある)
しかし下関判決に対して、当時の下稲葉法務大臣は「下関の裁判官は果たして法律をご存知なのか」と述べるなど、国はこの判決によって示された司法の判断を受け取ることを拒否し、1998年5月8日、広島高裁に控訴した。
また、元女子勤労挺身隊原告の請求が、下関判決では全て棄却されていることから、1998年5月1日に元女子勤労挺身隊原告7人も、広島高裁に控訴した。