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平成 13年(ネオ)第38号
釜山従軍慰安婦・勤労挺身隊公式謝罪等請求上告事件
上告人  朴頭理外15名
被上告人 国             

              上告理由書  
                                           2002年3月15日
最高裁判所 御中

          当事者の表示        別紙当事者目録記載の通り

          上告人ら訴訟代理人弁護士    山本晴太      

                       山崎吉男       

          同               李博盛  

 1 はじめに

  原判決は1985年11・21最高裁第1小法廷判決(民集39巻7号1512頁、以下「1985年小法廷判決」という)に依拠して、立法不作為による国家賠償を否定した。
 1985年小法廷判決が変更されるべきであることは、上告人らが原審において詳細に主張したところであるが、原判決はこれらの主張に正面から答えることなく、ひたすら1985年小法廷判決にすがり、上告人らへの重大な人権侵害の放置を追認した。
 しかし、上記の判断は、日本国憲法の根源的価値が基本的人権の尊重にあること、憲法が裁判所に少数者の人権保障機能を委ねていることに照らして明らかに誤った憲法解釈である。
 以下、この点について、原審における上告人らの主張を敷衍するとともに原審判決後に出されたハンセン病熊本地裁判決(熊本地裁2001年5月11日判決、判例時報1748号30頁)及び同判決をめぐるその後の事情に関連して主張する。

2 1985年以前の下級審判例

  立法不作為による国家賠償を請求する訴訟は主に1970年代前半から1980年代前半にかけて下級審に現れた。それらは左記のような裁判例であった。

・ 札幌地小樽支判1974・12・9「在宅投票制1次訴訟」(判時76 2号8頁)
・ 札幌高判1978・5・24〔在宅投票制1次訴訟控訴審〕(判時88 8号26頁〕

・ 札幌地判1980・1・17〔在宅投票制2次訴訟〕(判時953号1 8頁)

・ 東京地判1977・8・8〔定数配分千葉4区訴訟〕(判時859号3 頁)

・ 東京地判1978・10・19〔定数配分東京7区訴訟〕(判時914 号29頁)

・ 大阪地裁1980・5・15〔私学訴訟〕(判時972号79頁)

 これらの裁判例や学説においては、一般論として立法行為や立法不作為の違憲性を国家賠償訴訟で争うことを認める立場が多数を占めてきた。

 例えば前記・の裁判例は、過失の存在を否定して請求自体は棄却するものであったが、立法不作為に対する国家賠償請求の可否について要旨は次の通り判示した。

『1・国会議員による立法行為又は立法不作為についても国家賠償法1条1項は適用される。

  ・国会議員の免責特権を定める憲法51条は、国会議員の違法行為についての国の賠償責任を否定する趣旨を含むものではない。

 2・憲法上の選挙権の保障には、選挙権行使の平等な機会の保障も含まれる。

  ・国会が、合理的と認められるやむを得ない事由のない限り、選挙権行使の平等を確保するよう立法することは、憲法上の義務である。

 3 国会が憲法によって義務付けられた立法をすることを故意に放置する 場合、裁判所は国会の当該立法不作為の憲法適合性を判断しうる。

 4 国家賠償法適用上、国会議員の故意・過失については、国会の意思が各国会議員の意思であると前提すれば足りる。 』

3 下級審判例・学説によって形成された立法行為による国家賠償の要件

  この時期の下級審における議論や学説においては、国会議員の立法行為や立法不作為も国家賠償の原因たる違法な公権力の行使となりうることを当然の前提とした上で、国家賠償の認められるための要件である国会議員の故意過失をどのようにとらえるべきか、ここでの国家賠償訴訟が抽象的違憲審査におちいらないようにするためには、いかなる要件の絞りをかけるべきかという問題が議論の焦点となっていた。

 1985年小法廷判決以前の下級審判例及び当時の学説により形成された立法不作為による国家賠償請求の要件は次のようなものと考えられる。

すなわち、

@立法者の立法義務が憲法上明示されているか、または解釈上導き出される 場合に、

A相当の期間を経過してもなお立法者が立法義務を怠っているときに、立法 の不作為が違憲となり、

B国会議員の故意・過失が認められる場合には国家賠償が認められる、

というものである。

4 下級審・学説の成果をくつがえした1985年小法廷判決

  ところが、前記・の上告審である1985年小法廷判決は、「国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定上、違法の評価を受けないと判示した。この判決は、当時から「下級審判決が今までに積み上げてきた成果を、いっきに根底からくつがえしてしまった」(野中俊彦・法律時報58巻2号・「在宅投票事件最高裁判決の検討」)と評価され、実際に本件一審判決までの13年間、立法不作為による国家賠償を(及びその可能性を)認める裁判例は姿を消したのである。

5 1985年小法廷判決の誤り

・ 論理的誤り
  上記の判決の理由づけについて従来より次のような論理的な問題点が指 摘されていた

 ・ 判決は立法行為の違法と立法内容の違法の問題は区別されるべきであるとして、前者は後者とは異なり、性質上法的規制の対象になじまず、特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点から適否を法的に評価することは許されないとした。
 しかし、刑事手続において逮捕・起訴・勾留などが独立の行為として国民の権利を制限するのとは異なり、国会議員の個々の行為は、法律案への賛成反対を問わず、総体的に法形成に向けられるのであり、独立の行為として直接個々の国民に法的効果を及ぼすことはありえないから、右の区別が直ちに判決のいうような効果に結びつくとは考えられない。
 むしろ、国会のような合議制の機関については、議員意思の集約されたものとしての立法に違憲性があれば、それに向けた立法行為は国家賠償法上違法と評価されると解するのが妥当である。

・ 判決は憲法51条による国会議員の免責を、立法行為に対する国家賠償請求を抑制する根拠として挙げているが、憲法51条は国会議員の立法活動について個人としての民事上の責任を問わないことを規定したものにすぎず、その違法な職務を国家賠償法上適法なものとみなす趣旨ではない。

・ 判決は「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合」を立法行為に対する国家賠償請求が許される例外的場合として挙げているが、それ以前の理由づけと、この例外には全く論理的関係が見いだせない。

・ 実質的誤り

 しかし、右判決が最も厳しい批判を受けたのは、個々の論理的破綻によりも、判決が「人権が侵害された場合に裁判的救済を求める権利ないし憲法訴訟を提起する道を保障すべきことについての配慮がまったく感じられない」という点であった。
 1976年4月14日最高裁大法廷判決(議員定数配分規定違憲訴訟、以下「1976年大法廷判決」という)が、公選法204条の選挙の効力に関する訴訟により議員定数配分規定そのものの違憲を理由として選挙の効力を争い得るのかについて疑問を呈しつつも、右の訴訟が現行法上選挙人が選挙の適否を争うことができる唯一の訴訟であり、これを措いては他に訴訟上公選法の違憲を主張してその是正を求める機会がないことに配慮し、「およそ国民の基本的権利を侵害する国権行為に対しては、できるだけその是正、救済の途が開かれるべきであるという憲法上の要請に照らして」これを認めたことと対比しても、1985年小法廷判決が小法廷の判断により無造作に立法行為に対する国家賠償請求を否定したことは理解困難というほかはなかった。
 学説も、およそ憲法上の権利の侵害に対してできるだけ救済の道がひらかれなければならないという憲法上の要請に応えるためには「国家賠償法1条1項の解釈論として、立法行為や立法不作為にかかる国家賠償請求を肯定する説も否定する説もともに論理的に成立しうるとしたら、肯定説の方が選ばれるべきであ」(内野正幸「在宅投票制廃止を争う道はいずこに法学セミナー374号)り、「最高裁が…なにゆえに自らの違憲審査権の行使に必要以上の制約を課す論理を展開したのか、率直にいって理解に苦しむ」(野中俊彦 前掲)と評したのである。

・ 一方で、1985年小法廷判決の文言を相対化して解釈し、この判例の枠内でも立法不作為による国家賠償を認めうるとする学説も存在した。佐藤幸治は「『憲法の一義的な文言云々』ということにこだわって、国家賠償請求訴訟が憲法訴訟のひとつつの場として展開していく上で本判決が桎梏とならないよう望みたい」と主張した(「注釈日本国憲法(下巻)1247頁以下)。

6 本件一審判決
 本件一審判決は、1985年小法廷判決の枠組みを基本的に受け入れつつも、「例外的な場合」を拡大することによって、少数者の人権保障を実現しようとする試みの優れた例であった。
 同判決は1985年小法廷判決について「当裁判所もまた基本的には右最高裁判決と意見を同じくする」としながら、「しかし、右結論部分における『例外的な場合』についてはやや見解を異にし、立法不作為に関する限り、これが日本国憲法秩序の根幹的価値に関わる基本的人権の侵害をもたらしている場合にも、例外的に国家賠償法上の違法をいうことができるものと解する」とした。
 確かに、1985年小法廷判決は理由部分の論理と例外の提示に論理的関係がなく、しかも、例外については、積極的立法の場合を例示するのみで、立法不作為の場合についての例示がない。そして、積極的違憲立法の場合には裁判所は法の適用の拒否によって違憲審査を行うことができることと比べ立法不作為の場合に国家賠償を認める以外に違憲審査の方法がほとんど存在しないことを考慮すると、1985年小法廷判決の枠組みのなかで、例外の解釈を拡大することは、論理的にも誤りではなっかった。

7 ハンセン病訴訟熊本判決
 原判決後に出されたハンセン病訴訟熊本判決(熊本地裁2001年5月11日判決、判例時報1748号30頁)は、極度の人権侵害とその放置を前にして、1985年小法廷判決の文言を相対化することによって、人権の回復をめざした優れた判決であった。
 同判決は、1985年小法廷判決は「もともと立法裁量にゆだねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のないような極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは、全く事案を異にする。右判決は、その論拠として、議会制民主主義や多数決原理を挙げるが、新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理にゆだねることには、もともと少数者の人権保障を脅かしかねない危険性が内在されているのであって、右論拠は、本件に全く同じように妥当するとはいえない。」と指摘し、その後の最高裁の同旨判決も、その事案の性格上「本件に匹敵するようなものは全く見当たらない。」とした。そして、「『立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している』ことは、立法行為の国家賠償法上の違法性を認めるための絶対条件とは解されない。右一連の最高裁判決が『立法の内容が憲法の一義的な文言に違反している』との表現を用いたのも、立法行為が国家賠償法上違法と評価されるのが、極めて特殊で例外的な場合に限られるべきであることを強調しようとしたにすぎないものというべきである。」として、ハンセン病患者の隔離規定を改廃しなかった立法不作為に対して国家賠償を認めたのである。

8 少数者の人権保障の桎梏となった1985年小法廷判決
 ところで、1985年小法廷判決は、個別事案の解決としては、1976年大法廷判決において、定数不均衡の場合に公選法上の無効訴訟を提起することが認められたのを受け、在宅投票制の問題についても行政訴訟によるべきであり、あえて立法不作為の国家賠償という道を認める必要はないとの判断があったものとも思われる。
 しかし、1985年小法廷判決の当時には思い至らなかった戦後補償を求める訴訟が1989年以来本件を含めて60件以上提起され、1985年小法廷判決の弊害がますます明らかになった。すなわち、戦後補償の問題は、日本国民には恩給法・援護諸法を通じて膨大な予算を投じた戦後補償が行われたにもかかわらず、それらのほとんどすべてに国籍条項を設け、また戦争を遂行した人々への補償に厚く、戦争に巻き込まれた人々への補償に薄いという体系の立法がおこなわれたため、旧植民地出身者は最も過酷な戦争被害を受けながら、全く補償・賠償の手が差し伸べられることがなかった故の問題であり、まさに立法不作為の問題だったのである。
 しかし、これらの訴訟の前には1985年小法廷判決が立ちはだかり、しかも戦後補償の問題においては(在日韓国人への恩給法・援護法適用という限られた事例を除いては)行政訴訟によって争う余地がなく、立法行政の放置による人権が侵害が継続されながら、その救済の道が見いだせないという困難を強いられたのである。
 そのため、戦後補償に関する数多くの判決において、裁判所は現状が違憲であることを示唆したり、立法解決を望む旨判示しながら、主文においては原告の請求を棄却するという、無力な対応に終始せざるをえなかったのである。
 そのような判決のうち数例を挙げれば、下記の如くである。

・ 大阪地裁1995年10月11日判決(元日本軍属在日韓国人援護法障 害年金却下処分取消訴訟 一審判決 判タ 901号 84頁)

『在日韓国人について、国籍条項、戸籍条項により、援護法の適用対象外として何らの補償給付を行わず、前記のように重大な差別を生じさせる取扱いは、憲法14条に違反する疑いがあるといわざるを得ない。』

・ 東京地裁1998年6月23日判決(元日本軍人韓国人損害賠償請求事 件)

『原告のように、退役後は日本国から恩給が支給されると信じ、旧日本軍人として我が国のために最も危険な南方の最前線で戦闘に参加し、片腕を失うほどの重度の戦傷を受けたにもかかわらず、その後自己の意思によらず国籍を喪失したという一事をもって、被告である日本国から何らの補償も受けられないという事態は、いかにも不可解であるといわざるを得ず、何らかの立法措置が講ぜられてしかるべきである。』

・ 東京高裁1998年7月13日判決(元日本陸軍軍属韓国人BC級戦犯者国家補償等請求事件 判時1647号39頁))

『この問題によって、人道的、国家補償的見地からする戦後補償立法が我が国及び先進主要国においてみられる実情にかんがみるとき、…右の問題について適切な立法措置がとられるのが望ましいことは、明らかである。第2次世界大戦が終わり、戦犯者控訴人らが戦犯者とされ、戦犯裁判を受けてから既に50年余の歳月が経過し、戦犯者控訴人らはいずれも高齢となり、当審係属中にも、そのうち2人が死亡している。国政関与者においてこの問題の早期解決を図るため適切な立法措置を講じることが期待されるところである。』

・ 東京地裁1998年7月31日判決 (元日本軍人韓国人恩給請求棄却処分取消請求事件 判時1657号43頁)

『現在の繁栄が幾多の人々の犠牲の上に存すること、そして、その犠牲を被った者が日々生活を送る生身の人間であること、恩給法の適用のある軍務に服した者としては、当然に同法による恩給給付を期待して職務に当たったであろうこと、特に、増加恩給は公務の遂行において自己の心身という重要な法益に重篤な障害を生じた元公務員の稼働能力の減耗を補うものであることに思いを致せば、日本人として従軍しながら戦後の国際関係の間で日本国民としての国籍を喪失し、同一の立場にあった日本人とは異なる取扱いを受け、経済的にも著しい格差が生じていることは、平等・公正の観念に照らして疑義なしとしないところである。…国際社会において、国家の責任において引き起こされた損害について、その国家が内外国人を問わずに補償を行うことが望ましい…』

・ 東京高裁1998年9月29日判決 (元日本軍属在日韓国人援護法障害年金却下処分取消訴訟 判時1659号35頁)

『…人道的な見地からしても、また国連の規約人権委員会から関心事項(念事項)として指摘されていることに照らしても、速やかに適切な対応を図ることが、我が国に課せられた政治的・行政的責務でもあるというべきである。
…援護法の国籍条項及び本件付則を改廃して、在日韓国人にも同法適用の途を開くなどの立法をすること、又は在日韓国人の戦傷病者についてこれに相応する行政上の特別措置を採ることが、強く望まれる。』

・ 東京地裁1998年12月21日判決(光州千人訴訟)

『日本の国会で何らかの直接的補償措置の検討がなされることが望まれることはいうまでもない』

これらの「付言」をした裁判官の心情を上告人らは理解しないわけではないが、かかる付言をしつつ、結局立法裁量論により請求を棄却するのでは、少数者の人権の最後の砦である裁判所として余りにも無力な対応であるといわざるを得ない。むしろ、これほどの「付言」が繰り返され、人権侵害の状態を認めながら、それを解決することができない裁判所は、その機能を喪失していると言わざるを得ない。

 このような裁判所の機能不全を招いたのは、1985年小法廷判決によって、立法不作為による国家賠償という裁判所の人権回復機能の武器を最高裁が無造作に投げ捨ててしまったためである。

 1985年小法廷判決後15年余りの経過は、同判決が裁判所の少数者の人権保障機能の桎梏となり、これ以上維持すべきでないことを明らかに物語っているのである。

7 ハンセン病訴訟熊本判決以降の動向

 ハンセン病訴訟熊本判決後、政府は政府声明で、本判決が1985年小法廷判決に違反すると批判した。しかし一方で同日に出された小泉総理大臣談話では「わが国においてかつて採られたハンセン病患者に対する施設入所政策が、多くの患者の人権に対する大きな制限、制約となったこと、また、一般社会において極めて厳しい偏見、差別が存在してきた事実を深刻に受け止め、患者・元患者が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として深く反省し、率直にお詫び申し上げる」と政府としての反省を明らかにし、結局控訴を断念してハンセン病訴訟熊本地裁判決は確定したのである。

 そして、国会は同年6月15日に「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が可決成立した。この法律には次の前文が付されている。

 「ハンセン病の患者は、これまで、偏見と差別の中で多大の苦痛と苦難を強いられてきた。わが国においては、昭和28年制定の『らい予防法』においても引き続きハンセン病の患者に対する隔離政策がとられ、加えて、昭和30年代に至ってハンセン病に対するそれまでの認識の誤りが明白になったにもかかわらず、なお、依然としてハンセン病に対する過った認識が改められることなく、隔離政策の変更も行われることなく、ハンセン病の患者であった者等にいたずらに耐え難い苦痛と苦難を継続せしめるままに経過し、ようやく『らい予防法の廃止に関する法律』が施行されたのは平成8年であった。

我らは、これらの悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびするとともに、ハンセン病の患者であった者等に対するいわれのない偏見を根絶する決意を新たにするものである。ここに、ハンセン病の患者であった者等のいやし難い心身の傷跡の回復と今後の生活の平穏に資することを希求して、ハンセン病療養所入所者等がこれまでに被った精神的苦痛を慰謝するとともに、ハンセン病の患者であった者等の名誉の回復及び福祉の増進を図り、あわせて、死没者に対する追悼の意を表するため、この法律を制定する。」

 この前文はハンセン病熊本地裁判決の確定を受けて、国会自身が過去の立法不作為について深く反省し、被害者に対して明確に謝罪をするものであり多くの戦後補償訴訟において原告らが求めている「公式謝罪」そのものであった。

 このように、立法不作為に対する裁判所の違憲判断を行政府と立法府が受け入れ、新たな立法により謝罪と補償を行い、侵害された人権の回復を実現した。この過程は、立法不作為に対する裁判所の違憲判断が立法府を適正に抑制し、少数者の人権保護の機能を的確に営むことができることを証明したそして注目すべきことは、国会においても、マスコミにおいても、上記の過程によって議会制民主主義が破壊された、あるいは国会の権威が損なわれたと主張する者はひとりもいなかったことである。

 すなわち、国会自らが裁判所の違憲判断にもとづく立法不作為の是正を受け入れ、民主主義の主体である国民もそれを受け入れている現状のなかで、いまなお、多くの裁判所のみが立法不作為に対する司法審査を「議会制民主主義と多数決原理の尊重」の名のもとに躊躇しているのである。

 ここにおいて、最高裁判所がなお1985年小法廷判決を維持するのであれば、それは議会制民主主義に対する謙抑ではなく、少数者の人権保障を担うことへの怯懦であるといわなければならない。

8 上告人らは、下級審である本件一審裁判所やハンセン病訴訟における熊本

地方裁判所が、1985年小法廷判決の枠組みをくずさず、例外に関する判示のみ変更したり、文言を相対化することによって人権保障を実現しようとしてきた英知を高く評価する。しかし、上告人らが最高裁判所に望むことはそのような解釈にとどまらず、1985年小法廷判決自体を変更し、同判決以前に下級審判例及び学説によって形成された要件により、立法不作為による国家賠償請求の道を再び開くことである。

9 立法不作為による国家賠償の要件

 1985年小法廷判決以前に形成された要件によれば、本件は下記のとおり明らかに立法不作為による国家賠償が認められるべきである。

・ 立法義務の根拠

  上告人らの被害に対しては憲法13条、憲法前文・9条、憲法14条の解釈から、立法義務の存在を認めることができる。

・ 合理的期間について

 国会は遅くともサンフランシスコ条約締結時には上告人らに対する賠償立法を立法課題として認識できたはずであり、立法に要する期間の3年を加えても遅くとも1956年には立法の不作為は違法となっていたと解される。

・ 故意・過失

 国会のような合議制の機関においては、、議員の統一的意思活動たる国会自身の故意・過失を論ずるをもって足り、法律の欠缺が違憲である場合には消極的立法行為の過失が推定されるべきである。

 特に本件においては、諸外国の戦後補償立法対象者の国籍を問わず進められる中で、日本では恩給法・援護法にあえて国籍条項を設けて旧植民地出身者等を排除した事情があり、上告人らに対する補償・賠償立法を行わないという積極的な立法意思が示されたというべきであり、国会には故意があった。

(以上の点は原審における2000年11月7日付一審原告準備書面58頁 以下で詳論した。)

11 賠償額

 ・ 一審判決の認定

   一審判決は立法措置が遅延したことに対する慰謝料のみを認定した。

 しかし、本件について、実質的に軍「慰安婦」、勤労挺身隊として受けた被害そのものを填補する賠償額を認定したとしても、それは本件一審原告に対する救済にすぎず、決して裁判所が国会の立法権を侵害したという問題にはならない。

 そして損害賠償額の認定はいわゆる「救済法」の問題であり、事件・争訟の解決を任務とする司法権には権利の具体的実現をはかる「救済法の分野において創造的活動が求められている(佐藤幸治「憲法(新版)二七三頁)したがって、裁判所が軍「慰安婦」、勤労挺身隊としての被害の填補にあたる賠償額を認定して、上告人らに関する限りにおいて問題を解決することが、むしろ裁判所に期待されているのである。

 よって、請求の趣旨相当額の賠償額が認容されるべきである。

  (以上の点は原審における2000年11月7日付一審原告準備書面63頁以下で詳論した。)

12 予備的主張

 仮に1985年小法廷判決自体を見直すべきであるとの上告人の主張が認められないとしても、少なくもと本件一審判決及びハンセン病熊本判決の立場から、1985年小法廷判決の例外に関する部分を緩和ないし文言を相対化して解釈すべきである。

一審判決は上告人朴頭理、同河順女、同李順徳の被害について「徹底した女性差別、民族差別思想の現れであり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるものであった、しかも、決して過去の問題ではなく現在においても克服すべき根源的人権問題である」と指摘している(原審においてもこれを覆す主張、立証、認定は行われていない)。

したがって、同上告人らの被害が立法不作為が国家賠償法上違法とされる「例外的な場合」に該当することはあきらかである。

また、ハンセン病訴訟熊本判決は「(1985年小法廷判決は)もともと立法裁量に委ねられているところの国会議員の選挙の投票方法に関するものであり、患者の隔離という他に比類のないような極めて重大な自由の制限を課する新法の隔離規定に関する本件とは全く事案を異にする。…その後の最高裁判決の事案も、一般民間人戦災者を対象とする援護立法をしないことに関するもの…、生糸の輸入制限に関するもの、民法733条の再婚禁止期間に関するもの…等であり、本件に匹敵するようなものは全く見当たらない。として、ハンセン病者に対する隔離規定が「極めて特殊で例外的」に立法行為が国家賠償法上違法と評価される場合であると認定した。本件一審判決の認定にしたがえば、日本軍の「慰安婦」制度はまさに「本件に匹敵する」場合であり、ハンセン病訴訟熊本判決と同様の見解にたつとしても、上記上告人らの場合が「極めて特殊で例外的」に立法不作為が国家賠償法上の違法と判断されることは明らかである。

さらに、女子勤労挺身隊は多数の子どもを欺罔して親元からひきはなし、重労働を強いた近代史にまれにみる事件であり、その人権侵害の程度は決して軍「慰安婦」制度に勝るとも劣らないものがある。したがって、本件一審判決やハンセン病訴訟熊本判決と同様の立場に立つとしても、朝鮮人女子勤労挺身隊の場合もやはり、「例外的な場合」に該当する。このことは、一審及び原審の証拠から十分に認定できるはずである。仮にそうでなければ、審理を差し戻して、上記上告人らの被害事実が例外的な場合に該当するか否かをさらに審理すべきである。

13 むすび

  議会制民主主義の尊重を理由として違憲判断を回避する司法消極主義の論理は、問題となる利益が多数決によって保護されうることを前提とする議論である。ハンセン病訴訟熊本判決は「新法の隔離規定は、少数者であるハンセン病患者の犠牲の下に、多数者である一般国民の利益を擁護しようとするものであり、その適否を多数決原理にゆだねることには、もともと少数者の人権保障を脅かしかねない危険性が内在されている」と正しく指摘した。

本件を始めとする戦後補償訴訟は日本国民として戦争に協力させられ、深刻な被害を受けながら、戦後はその意思に関わらず日本国籍を喪失したされた結果、国籍条項により恩給法・援護法の体系から締め出されたばかりか、日本における選挙権・被選挙権も失った人々によって提起されている。したがって彼らは日本においては議会制民主主義や多数決原理から完全に疎外された絶対的少数者であり、ハンセン病訴訟熊本判決の事例以上に議会制民主主義や多数決原理が妥当せず、裁判所による少数者の人権回復機能の発動がもとめれらるケースである。

 最高裁判所は原判決の誤りを正し、少数者の人権の最後の砦としての機能を回復すべきである。