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二度目のソウル留学

                      関釜裁判を支える福山連絡会 O・M

 

<原告ハルモニを訪ねて>

 今年の1月から二度目の語学留学でソウルにやって来ました。そして早速、朴Soハルモニのお宅に遊びに行きました。いつもと変わらない優しい笑顔で、私の来訪をとても喜んで下さいましたが、ハラボジのお話では以前よりも耳が遠くなっているし、私に飲み物を出したいのだが、ガスをつけたまま忘れてしまうことがあるので昼間は元栓を消しておくんだ、ということでした。それでも、ハルモニが私に昼ご飯を用意して下さったので食べると、食べたのをご覧になっていたはずなのに、「まだ食べていないでしょう。食べなさい。」とおっしゃったり、その日は病院に行く日で、それもあまり覚えていらっしゃらなかったようで、お孫さんが付き添ってタクシーで行かれました。そんなお姿を拝見すると、昨年4月にお会いした時よりも、認知症が進行しているのを実感せざるを得ませんでした。

 先月、遊びに行った時は、私の顔は分かるのだけれども、名前が思い出せない、とおっしゃっていました。その日は、ソウルに大雪が降った次の日で、まだ雪が残っていたので、不二越で働かされていた時のことを思い出されたようでした。ケガの治療に向かう雪道で、憲兵(か誰か分かりませんが)に、両腕をつかまれて雪の上に投げられて寒かったことを何度も話して下さいました。そして私が帰る際、寒いのに外まで出て、私の姿が見えなくなるまで見送って下さいました。

 以前、ハルモニはこうおっしゃっていました。「挺身隊だった友だちが、あんたはいいね、日本からそうやって来てくれる人がいて、話をすることができるから、と言ってたよ。」 私はもうすぐ帰国しますが、これからもソウルに行く度に、お宅を訪問しようと思っています。

 

<朴頭理さんの訃報を聞く>

 その後、日本から来た友人を連れてナヌムの家に行った時、偶然朴頭理ハルモニの訃報を伺い、大変驚きました。入院されてからお見舞いに行っていなかったことが、本当に悔やまれましたが、日本から来られた花房さんとともに、お通夜、そして翌日のお葬式に参列しました。ハルモニは水原(スウォン)の近くの安養(アニャン)の病院で亡くなったので、お通夜はその病院で行われました。翌日のお葬式は、日本大使館の代わりに、安養にある日帝時代の建物の前で、まず追悼式を行った後、そこから遺影を持ったお孫さんを先頭に、ノジェ(今でも田舎ではそのようにすると思いますが、お墓までお棺を運びながら死者を送る儀式で、参列者はお棺とともに歩いていきます)をしながら、安養駅まで行きました。その途中、大きな道路に出たノジェの一行を通すため、警察官が出て交通整理をしていました。そして、安養駅前で社会葬が行われた後、娘さんの住む水原で荼毘に臥されました。ハルモニの死は、テレビや雑誌でも伝えられました。最後にもう一度、お顔を拝見したかった・・・。

 

<本人尋問打合せ>

 3月に入って、朴Soハルモニが原告になられている、富山の不二越裁判準備に関わらせていただきました。(韓国語で)ハルモニたちの体験や思いを聞いて、本当に胸が痛くなりました。しかし、いつも思うことですが、闘うハルモニたちの姿に勇気と心の温かさを感じます。こうした出会いを、日本に帰っても大切にしていきたいと思います。