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2001年日本市民と連帯する平和と人権のための日本歴史ツアー」同行記

着実に強まる日韓民衆のきずな!

山下英二

昨年の1222日から26日の間、韓国の大邱ハンギョレ文化情報センターが企画した「平和と人権のための日本歴史ツアー」の皆さん24人が名護屋城・長崎・筑豊・日出生台を訪ねて廻る旅に同行してきました。前年は広島を中心に高暮ダムや、ハンセン病の学習などを福山市で戦後補償問題に取り組まれている都築寿美枝さんが案内され、今回も一緒に行動しました。「平和と人権ツアー」の責任者でもある李昇勲(イスンフン)さんは、関釜裁判の広島高裁の時に大邱市からたくさんの仲間と共に裁判闘争の激励に駆けつけたり、昨年の教科諸問題では、福岡で行った「いま教科書があぶない!6.10集会」に李容珠(イヨンス)ハルモニとともに教科書からの慰安婦記述の削除に抗議し、市内デモをされたりして日本の市民運動との連帯行動に積極的な役割を果たしています。
 「平和と人権ツアー」
22日は、植民地時代の同化・皇民化教育等について調査されている地元の藤井正昭さんの案内で、豊臣秀吉が朝鮮侵略の陣を敷いた名護屋城跡と「文禄・慶長の役」の加害の歴史を伝えている博物館を見ることができました。博物館を見て「もう少し近現代史について触れてほしい」という感想が述べられていました。
 23日は全国被爆二世団体連絡協議会の会長を努められている平野も部費と山河、長崎市内の平和記念像や日本の加害責任を提起している「岡まさはる記念平和資料館」や、韓国・朝鮮人を強制連行をして巨大なトンネルを掘って造った三菱兵器工場跡を案内して頂きました。交流会では元長崎市長をされました、本島等さんのお話を聞くことができました。本島さんは日本の侵略行為に謝罪を繰り返し、信頼を強め合うことが平和に繋がると熱っぽく訴えられました。
 24日は筑豊を訪ね強制連行の実態の調査研究をされている、金光烈(キムガンギョレ)さんの案内で、炭住や田川石炭資料館から町を眺めたり、豊臣秀吉の朝鮮侵略により連れて来られた陶工の窯元で、上野焼きの伝統を守りつづけておられる渡りさんを訪ね交流を深めることができました。
 25日は由布院にある日出生台で沖縄米軍海兵隊の実弾演習に反対し、平和の生活を守るため闘っている衛藤洋次さんから「すばらしい日出生台を子供に残してやりたい」と訴えられました。交流会では食べ物の持ち寄りや、アリランなどの大合唱で心を一つにして親睦を深めました。
 最終日
26日は昼食に花房さんのカレーをご馳走になり、福岡国際港から高速船で帰途に着きました。李昇勲さんから便りが届き「旅行前に抱いていた日本人に対するイメージが変わった。日韓の歴史や関係についてもっと学習を深めたい。旅先での日本のみなさんの暖かい気持ちが嬉しかった」とツアー参加者の感想が述べられていました。24人の年齢は7歳から72歳と、3家族も加わり女性が17人と男性が7人という幅の広い市民の参加でした。韓国大邱市のみなさんとともに訪ね歩みながら再び過ちを繰り返さないためにも、日韓の市民交流の絆がもっともっと強められ信頼が深められることが、いま私たちに求められていることだと思いました。