原告滞在記
花房恵美子

 釜山挺対協・会長、金文淑さんは、ころんで、足のスジを痛めて、一ヶ月以上ギブスをして、寝たきりのような状態だったそうです。八月半ばからようやく歩けるようになり、今回、約四ヶ月ぶりに足に包帯をした痛々しい姿で来日されました。
 九月四日の集会、デモでは、終始先頭に立って頑張られましたが、夜は足がはれて辛そうでした。
 五日裁判が終わってから「裁判なんかしたって意味がないんじゃないか」と、失望と怒りを込めて、言われました。
 この裁判をおこす為に、体力と財力をつぎ込まれた、金文淑さんに、このような思いを抱かせたことは、社会党首班内閣なのに、何一つ前進していない現実と、それを許している私達の問題でもあるのではないかと、苦い思いをかみしめました。
 李順徳さんは、裁判当日の早朝5時から李金珠さんと本人尋問の練習をしていましたが、つまったり、トンチンカンになったりで、すぐ思考そのものができなくなって、朝食の時は、すっかり元気がなくなって、「オレの頭はよくたたかれたから、壊れてしまっているよ。」。朝の練習の時は手が熱くなっていて、ビックリしましたが、出発する時(10時)は、ハッとするほど冷たくて、今日の裁判をやれるのかしら、順徳さんは下関まで行けるのかと心配しました。
 私は、仕事の都合で、裁判の傍聴に、まだ行けていないのですが、傍聴にいった人達から「ちゃんとやれたよ」と聞いて、マジに神様が助けてくれたと思いました。
 翌日、すっかり、リラックスした李順徳さんは「オレはちゃーんと考えているよ。カネができたらな、まず姉さんに(李金珠さん)お礼するよ。裁判費用みな出してもらっているから。そしてまた日本にきて、みんなにお礼するよ。今、光州に来てもらっても、貧乏しているから、ごはんも食べさせられないけど、その時は光州においでよ。オレが駅まで迎えにいくから。ごちそうするから・・・」胸がつまりました。