原告滞在記
花房恵美子
今回の来日は、原告の梁錦徳さんと、付添で通訳の光州遺族会・会長の李金珠さんのお二人だけだったので、ゆっくりお話を聞くことができました。
梁さんは両班(リャンバン)の家柄に生まれながら、挺身隊に行っていたというだけで、両班の人とは結婚できず、近くでは話がまとまらず、遠くの人にお金を出して嫁にしてもらったと涙ながらに話されました。心労からお父さんは翌年亡くなられたそうです。慈しみ、育てた利発な娘の結婚をそのように準備せねばならなかったご両親の悲しみを屈辱感は想像を絶します。
結婚してから苦労が絶えず、九人の子供を産み、三人を亡くし、末子が乳飲み子なのに夫も亡くし、食べていく為に葬式のお供え物まで貰いながら飢えをしのいだとのこと。「お母さんの家柄はそんなにいいのに、どうして僕達は上の学校にも行けないの?」と、子供たちに言われるのが一番辛かったとも。
韓国では挺身隊に行っていたというだけで「汚れ者」として扱われ、いわゆる「まともな」結婚は出来なかったを言われます。
殆ど知られることのなかった韓国における元女子勤労挺身隊の人達の戦後の苦労を聞くと、元「従軍慰安婦」の人達の名誉回復と共に、彼女らの名誉回復も切に望まれます。「日本の戦後責任」という言葉がずっしりと重みを持ってきます。と同時に、話を聞きながら、彼女らのたくましさに胸が熱くなりました。韓国の戦後の復興を支えたのは、このハルモニ達なんだと実感しました。実に頼もしく、優しいのです。
翌朝5時過ぎから、何か声がすると思っていたら、意見陳述の練習をしていたとのことです。特に、どこで話を区切って、訳すのかの打合せをしていたとのこと。出発ギリギリまでの点検。意見陳述にかけるお二人の気迫が伝わってきました。