関釜裁判ニュース第58号

弔辞  

一昨日の朝、福留さんあなたはあまりにも急に逝ってしまわれました。

電話で、お連れ合いさんが涙声で亡くなったと伝えてくださったとき、私は思わず「え〜」と叫んでいました。

気が動転し、昼の料理の仕事を済ませて、近所の福留さんの家に駆けつけました。そこには、よく一緒にいった旅先での寝姿のままの福留さんが横たわっていました。

とても死んでいるとは思えない顔色で、頬にそっと手を触れてみて、その冷たさにあなたが死んだことを感じざるを得ませんでした。



この三日間、福留さんの訃報を聞いた日本各地や韓国、そしてアメリカの人々から、あまりにも急な死を悼む声が殺到しています。

あなたは逝く前一週間韓国に出かけていました。

会議やシンポジュームで元気な姿に接してきた友人たちにはとても信じられない、受け入れがたい死でした。この会場にも韓国からそして日本の各地から駆けつけた方々があなたとの別れを惜しんでいます。

誰もがいまだ現実感が持てないのです。



福留さんは三十代前半の五年間家族と韓国に住み、大邸市の大学で日本語を教える傍ら、各地に出かけシャーマンの研究をされてきました。

そこで覚えた韓国語はあなたを日韓の間に和解の架け橋をかける終生の仕事に向かわせました。



九十年代始め韓国の民主化と共に、長い沈黙を破って名乗り出た日本軍「慰安婦」被害者のおばあさんたちや、強制連行されて中国の戦地や日本の炭坑などで亡くなられた方々の遺族たちとあなたは深く交わってきました。

日本政府が被害者たちにきちんと向き合い、その痛みを理解し、責任ある謝罪と賠償を通して和解の未来を作り出すために働いてきました。



とりわけ二〇〇四年末、韓国政府が植民地支配の下で強制動員された被害者たちの真相究明と遺骨の調査と返還の協力を日本政府に要請して以来、あなたは全国でそして福岡で市民のネットワークを作りその実現にとりくんできました。

韓国の新聞の植民地時代の被害とその克服に関する記事を本日参加されている森川さんと共に翻訳して発信し続けてきました。

また、福留さんは韓国の政府組織である真相糾明委員会と日本の真相究明ネットワークの意思疎通を一手に引き受けてきました。



ハングルを語り、物怖じすることなく率直に思いをつたえ、そしてとてもフランクに相手の懐に飛び込んでいくあなたの人柄は多くの韓国人に愛され、信頼されました。

韓国の被害者と真相糾明委員会と共に、日本政府に真摯な対応を求める要請を続けてきました。



日韓両国の間がきしんでいて遅遅として進まない取組みのなかで人知れず多くのストレスも抱えてきたのでしょう。

数年前に糖尿病が発生し、病気の体を押して韓国に東京に出かけるあなたを私たちははらはらしながら見守ってきました。



昨年、過去をきちんと見つめる勇気を持とうとしている新しい政権が日本にうまれました。

そして今年は日本が韓国を強制的に併合してから百周年になります。

この年を過去の克服と和解の年にするための日韓両国市民による取組みの要の位置に貴方は居ました。

かけがえのない人を失った喪失感を抱きながらも、いつも虐げられてきた人々のそばに寄り添って共に闘ってきたあなたの遺志を受け継ごうとする多くの人が今日の葬式を見守っています。

本当にお疲れ様でした。今はゆっくりと休んでください。

      2010年5月7日      花房俊雄

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