関釜裁判ニュース第57号

不二越第2次訴訟控訴審不当判決! 不二越訴訟高裁判決に寄せて  

安倍妙子

高裁判決の場に立ち会うのは、富山での地裁判決の日以降二年半ぶりのことでした。

思えばこの日を迎えるまでの二年と半年、私は一度も北陸に足を降ろしていなかった事になります。

今回来日された六名の原告の中で、関釜裁判関係の金JOさんと柳CAさんのお姿を随分久しぶりに拝見して、ゆっくりゆっくり進まれるその足取りを見つめながら、関釜裁判のあの時代から年月がどれほど長く過ぎてしまったことかを思い出し、とても申しわけない気持になりました。


高裁判決の裁判長は、巡り合わせの妙なのか地裁判決の時と同じ裁判長でした。

高裁でも地裁と同じく原告の請求を棄却し、原告たちから地裁と同じように「人でなし!」と罵られ、いったいどんな思いで退廷したのでしょうか。

私はハルモニ達の怒りの声よりもむしろその裁判長の想いを聞きたいと思いました。

二年半前、この裁判長は退廷時に、原告の李BOハルモニから「この裁判は無効です!あなた達此処に戻って来なさい!」と言われたことを覚えていたでしょうか。

そして今、今回の安KIハルモニからはついに「法衣を脱ぎなさい!」と言われてしまいました。

このハルモニ達の怒りの声を背に聞き、同じ裁判長は何を感じながら退廷したのでしょうか。私はとても知りたいと思いました。

地裁判決の時よりも明らかに声質の衰えたハルモニ達の怒りの呻きは、それでも法廷内に響き渦巻いています。退廷しようとする不二越側の弁護士を掴まえてベルトを握り締め、絶対に許すものかと怒りに満ち満ちています。

指差し示す手は震え、脚はロボットのように不自由な動きを見せながらハルモニはなおも声を上げ、そしてその声はやがて涙声になって再び法廷内に響いていきました。


私は傍聴席から一歩も足が前に出せずただ立ち尽くすだけで、抗議の声を一緒に出すことができずにじっとハルモニ達の姿を目で追うことしかできませんでした。

ハルモニ達の姿を目で追いながら、なんとも表現し辛い虚しい思いと情けない思いが全身を巡り、涙がぼろぼろ頬を伝って眼鏡が曇っていくのを感じました。

そして周りに目を移すと、周りもまた目や口を覆いながら声を凝らしている人ばかりだという姿が眼鏡越しに見えました。同じ「棄却」という言葉の、その無常な響きに、おおよその予測は持ちつつも地裁判決の時とは明らかに違うほど脱力感の強い、やるせない思いの残る法廷でした。

法廷を出て裁判所構内で不当判決の抗議のため座り込み、裁判所の職員や警察の排除行為に対して動こうとしないハルモニの傍で膝や腰をさすりながら、「排除しないで! 言い分を聞いて!」と職員たちに訴える一方で、さすっているその脚の筋肉の衰えが掌に伝わり、「ハルモニ、もう此処を出て温かい所に行こうよ…」と促したい思いにかられます。

でも、此処を出たら、ハルモ二達はもう二度とこの高裁の前で思いを訴えることはできません。
どんなに悔しい事が起きているのか、私にもハルモニの思いは解っているのです。

それでも、骨の上に皮膚しかついていない様な細くなった脚をさすっていると、切なくて 切なくて、どうしてこんなに高齢の人たちがこの裁判所の前で身体をさすりながらも抗議をし続けなければならないのか、何故私は此処にハルモニと一緒に居るのか、何故あの取り巻きの裁判所職員や警察隊が排除しようとするのか、どうして役割でなく人の心の温かさで応対しようとできないのか、数十分の間くらい黙ってハルモニ達の言い分を聴いて上げられる度量の深さを何故あなたたちは持たないのか。

そんな思いがぐるぐると頭の中を回って、関釜裁判から十八年の時を経たこれまでの色々な場面でのハルモニ達の姿や、不二越訴訟の支援を始めた頃からのまだ今よりもかろうじて元気だったハルモに達の姿が浮いては消え浮いては消えして、来日できなかった朴小得(パク・ソドク)さん達や羅FAさんたちの顔も次々と浮かんできて、私自身が気持を取り乱しそうになりました。

「帰ろうよ、ハルモ二、もうバスに戻ろう。」心の中ではハルモ二にそう訴えているのに、それを口に出して表すことのできない目の前の光景は、どれほどの残酷な出来事だったでしょう。 わずか十二、三才頃の幼い頃の理不尽な体験の謝罪と賠償の訴えは、日本の強固で冷淡で聞こえぬ耳を持った裁判官たちにはついに届かなかったのです。いったい何十年の「恨」を抱えて生きていかなければならないのか、もう生き続けるには長くはないというのに。

裁判官たちに「法衣を脱ぎなさい!」と言ったハルモニ達の批判は正しいと思いました。
原告の言い分を聞き入れず国と企業側にのみ優位に導いたこの不当な判決は、はじめから法衣を着るに相応しくない人でしか出せない、こころと頭脳が一致していない立場のものでしかありませんでした。

私はせめて、裁判官たちの葛藤を知りたい、と思いました。きっと彼らに葛藤はあったはず。
自分たちの中だけで理屈を展開するのではなく、心の外に対峙する我々に出せるようになるにはあと何年かかるのだろう…

裁判官という職業を選んだのは地位や名誉や我欲の為だけではなかっただろうに、裁判の種類によっては心が奮えるほどに画期的な判決を出してきた事だってあったろうに、今ここで聞かぬ耳を持たなければならないということは彼らにとっても決して間尺にあったことではないだろうに 等と思うと、どの角度からみてもおかしいこの不二越訴訟の判決のあり方に怒りを超えた虚しさを感じます。

翌九日の不二越本社前では、裁判半ばにして亡くなっていかれた二名のハルモ二と、原告たちを纏めた前会長、それと、逃亡して「慰安婦」にさせられたハルモ二の遺影を祭り、霙交じりの中、追悼式と抗議行動を展開しました。

霙はやがて雪に変わり、寒さと冷たさが交じり合った不二越本社の正面玄関は、門扉の向こう側の守衛の声も冷え冷えと響き、どうして追悼式の僅かな時間の間にさえ立ち退き要請のマイクをとめてやろうとはせず延々と退去要請の言葉を流すのかと、やるせない気持で一杯でした。

正門前から移動しバスは南門へ
ハルモ二たちは雪に濡れないようにとビニールコートをまといトラックが行き来する南門ゲート前から奥のほうへ進み、入ってくるトラックを阻止しようと抗議行動を起こします。ハルモ二たちの気迫はすさまじく、警備隊ともみくちゃになってもひるまず進みます。

「まだ闘いは終わっていないぞ!」と声を大きく上げ拳を高く掲げてその存在を大きくアピールします。

怒りと闘争感で満ち満ちたハルモ二が暖かいバスの中に戻りぐったりと身体を椅子に傾けた時、こんな冷たい雪の中にハルモ二たちを先導させることへの罪悪感と、この先どんな風にハルモニ達に寄り添っていってあげられるのだろうか等と取り留めのない想いを巡らしながら、ため息しか出て来ない自分をとても情けなく思いました。

もう争いたくない、闘いたくない、早く平和を!早く和解を! 
心の中では闘うことへの疑問が沸々とわいてくる自分が居ます。
一日も早くハルモ二たちが頑張らないでよい日が来て欲しい。

これまでは間違いでしたすみませんと政権交代した日本政府が謝罪し賠償することを心から望みます。
国と企業と被害者たちが丸く手をつなぎあった姿をイメージしながら心に刻んだこの二日間でした。



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二〇一〇年三月八日、不二越第二次訴訟の高裁判決には福岡から3人が、山口から1人が、広島から1人が参加しました。

地裁判決に腰の痛みで来日できず、控訴審の結審での意見陳述にも息子さんの交通事故で来日出来なかった金JOさんは、判決を聞いて法廷で絶叫されました。そして不二越の弁護士につかみかかっていかれました。積年の悔しさが爆発した瞬間でした。

その後、痩せて小さくなられた原告たちが、厳しい寒さの中を二週間にわたり闘われました。
この間、来日できる原告が少なくなる中で、誰もがリーダーになる力と思いを持っておられることを実感しました。

関釜裁判ではじめてお会いしてから十八年を超え、第二次訴訟に入ってから七年を超えました。原告の皆さんの健康を祈るばかりです。何とか持てる力を尽くして「吉報」を届けたいと願っています。

(花房恵美子)


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