関釜裁判ニュース第57号

韓国訪問記(二〇〇九年十二月二一日〜二六日)  

緒方貴穂

■十二月二一日 
元女子勤労挺身隊の柳CAさんのご自宅を訪問し、再会を喜び合いました。お元気そうでしたが、以前に比べるとお身体が弱っておられるようでした。近況を伺うと、高齢者の集まる寄り合い所が近くにあり、昼はそちらで花札などをして過ごされているとのこと。冬は寒いので遠くまでは散歩せず、犬の散歩にアパートの周辺を歩くだけとのことでした。食事の準備は、ご家族の分も柳賛伊さんがされており、お米を研いで炊飯器にセットされていました。二人で蔘鷄湯を食べに行くことになり、少し離れた食堂まで歩いたのですが、途中しばしば立ち止まって休んでおられました。夜空を見上げ、「不二越にいたときも月を見て、“お母さんも同じ月を見ているのかなー”と思って涙を流していた」とおっしゃっていました。食堂で蔘鷄湯を美味しそうに召し上がっておられたので嬉しかったです。 


 
■十二月二二日
ナヌムの家を訪問し、新築された生活館でハルモニたちと再会。新生活館は、一階がハルモニたちの部屋、二階が食堂になっており、エレベーターで上がれるようになっていました。一階には日本人スタッフの村山一兵さんの部屋もあり、一兵さんがすぐ近くにおられるのでハルモニたちも安心して生活できるようでした。ただ、朴玉蓮ハルモニだけは、裏手にある別の建物(新生活館ができるまで皆さんが住んでおられたところ)で今も暮らしておられます。老衰と認知症のため、二四時間介護が必要な状態で、食事も他のハルモニと異なり、流動食を召し上がっておられるとのことでした。夕食後しばらくして、金華善ハルモニが腹痛を訴えられたので、ボランティアとして滞在されていたKさんと一緒に、華善ハルモニのお腹をさすったりしました。翌朝には腹痛も治り、朝食を召し上がっておられました。なお、北九州の金JOさん、金RYOさんも訪問中で、在日人権資料センター(北九州)でのパネル展示について、一兵さんと打ち合わせをされていました。


■一二月二三日
ソウル日本大使館前で第八九七回目の水曜集会。吉元玉ハルモニや挺対協スタッフの皆さんと再会。(冬は寒さが厳しいので、ナヌムの家のハルモニたちは参加を控えておられます。)クリスマス間近ということで、ジングルベルの替え歌を一緒に歌うなど楽しい雰囲気でした。ただ、もうすぐ九〇〇回目を迎えることに痛みと申し訳なさを感じ、私は複雑な気持ちでした。集会の終り近く、吉元玉ハルモニがマイクを持って切々と話されていました。「私たちのことを忘れないでほしい。戦争になれば、私たちのような被害者が出ます。同じことをくり返さないために記憶してほしい…」(私は朝鮮語が分からないので、梁路子さんに伺いました。)その後、挺対協事務所に行き、金JOさん、金RYOさんと合流。民族問題研究所にも一緒に行き、朴漢龍さん、李熙子さんたちと夕食を共にしました。朴漢龍さんは、二〇一〇年八月二九日に国際学術大会を開催したいとおっしゃっていました。


■十二月二四日
午前中、ウリチプを訪問し、李順徳ハルモニと吉元玉ハルモニにお会いしました。 李順徳さんは、冬はほとんど部屋の中で過ごされており、段々痩せ細っておられるように感じました。二〇〇九年七月に花房さんご夫妻と訪問したことを覚えておられ、「(花房さんご夫妻は、)元気でおる?」と尋ねられました。頭痛薬等いろんな薬を飲まれ、「俺は子どものころは病気なかった。とっても良かったよ」とおっしゃって、昔のことを話してくださいました。吉元玉さんは、書道の練習を熱心にされていました。

夜のニュースで知ったのですが、クリスマス・イブのこの日、元女子勤労挺身隊の梁錦徳さんたちが日本大使館前で記者会見を開かれていました。日本の社会保険庁が、戦時中の厚生年金の脱退手当として九九円支払ったことに対する抗議で、梁錦徳さんの泣き叫ぶ姿がテレビに映し出されていました。翌日の新聞各紙でも取り上げられ、本当に胸が痛みました。


■十二月二五日
早朝、姜JEさんと慧SIさんの三人で、釜山から陜川(ハプチョン)へ向かいました。目的は、「障害」をもっている被爆二世の人たちの通所施設の賃貸物件探しです。姜さんの話では、被爆二世に対する国の支援は一切なく、心身に「障害」があっても、「自宅に放置されている」状態とのこと。そのような人たちのための通所施設を開設し、様々なプログラムを実施したいとおっしゃっていました。また、平和資料館のための原爆関連資料を、まずはその通所施設で展示したいとのことでした。沈鎭泰さん(韓国原爆被害者協会陜川支部長)とも再会し、昼食を共にしました。 夕方、釜山の療養施設におられる黄錦周ハルモニを訪ねました。黄錦周さんは認知症が進み、その日がクリスマスであることもお分かりにならない様子でした。ただ、福岡の「福留さん」や挺対協の「尹美香さん」などのお名前を挙げると、かろうじて覚えておられる感じでした。笑顔になってもらおうと、スタッフの人たちも加わり、「ハイ、キムチー」と言って一緒に写真を撮るのですが、ハルモニの表情に笑みが浮かぶことはありませんでした。それでも、少しでも長生きしてほしいと切に思います。

今回の訪韓で最も感じたことは、ハルモニたちの老いです。時の経過に伴う身体の衰えは、高齢になればなるほど早く進むということ。同じ一年でも、ハルモニと私では老いの速度が異なるということ。しばしば指摘されることなので、あえて書き記す必要はないのかもしれませんが、ハルモニにお会いすると、そのことを痛切に感じます。ハルモニと再会できること、同じ時間を過ごせることがどれほど貴重で幸せなことかということ。もしかしたら、最後の別れになるかもしれないということ。このように書くこと自体とても辛いのですが、正直なところ、いつ旅立たれてもおかしくはありません。被害者のことを想うと、「一刻も早く立法解決を!」と願わずにはいられません。
ひとりひとりの命を大切に、一日一日を大切に、歩み続けていけたらと思います。
被害者の方々が、この冬を無事に乗り越えられるよう祈ります。   以上 (帰国後数日して記す。)
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