李順徳(イ・スンドク)ハルモニのお話
上海に汽車で十五人一緒に慰安所に連れてこられて、三人亡くなって、帰りは別々に汽車に乗って帰ってきた。(自分は)汽車で途中まで行ったが、線路が切れていてそこで一年いた。
亡くなった一人は酔った兵隊が「俺以外の客は取るなと言ったのに、他の男をあげた!」と言って刀を抜いて切って殺した。血がたくさん流れた。その兵士は憲兵に捕まって、刑をうけた。その女の人は着物に包まれて、埋められた。あとの二人は病気になり、ご飯を食べられなくなって死んだ。オレは病気にならなかったから今まで生きてこれた。
初めて兵隊が入ってきたとき、兵隊は服を脱いで、服を脱ぐように言った。怖くて必死で身を固めていたら刀を抜いて服の前を切られた。そのとき(レイプされた時)、血がたくさんでた。子供だったので小さかったので切れて痛かった。痛いことを考えてくれたらいいのに、めちゃくちゃで…・
下駄をはき、着物を着た。帯も締めた。歌も歌った。腹が減った。
食事を運んでいたら、足を滑らせて食事をひっくり返して、憲兵から両方の頬をボカボカ殴られた。一人娘だから親にも殴られたことがなかったのに・・
(自分を)好きになった兵隊がいて「結婚しよう」と言ったけれど、「本妻がいるだろう。本妻がいるならだめだ」と言った。
ご飯が少なくて本当に腹がへった。
中国人から豚足を三百円(?)で買った。すごく美味しくて力が涌いた。
兵隊に少しわけたら、美味しいと言っていた。
(戦後)田舎に帰ったら、姉さん(姉はいないので近所のかたかも)から「良い人がいるから結婚しなさい」と言われた。
オレは男が嫌だから絶対結婚はしたくないと断わったが、姉さんが何度も結婚しなさいといった。お母さんが「いつまでも若いわけではない。私が死んだら頼る人が誰もいなくなる。結婚しなさい」と言って、冷たくした。
結婚することにした。夫には本妻の間にできた三歳の女の子がいて、オレがその娘を育てて、学校にもやった。あんたたちはその娘を知っているでしょう。(家に伺ってお会いしたことがあります)
ウリチブに来たことがある人が亡くなって、その人の葬式に行ったことがある。
棺に入れられて、電気を入れたら、パッと焼けて、小さな骨になった。
町は土地がないから、死んだら焼かれる。オレも死んだら焼かれるだろう。
死んだら、知らせに行くから「李順徳さん!可哀相!」と思ってくれよ。
人には目に光があって、死ぬときは光が体から離れて、空に上っていく。あんたたちのところに会いに行くから、会ってくれよ。悲しんでくれよ。
今、言っておく。
オレが死ねば誰がこの話をするのか。
今度いつ来るのか。
来年までおれるかどうかわからん。死んでるかもしれん。
ご飯を食べていきなさい。オレが払うから払うなよ。(福岡に来られる毎に、「全部お世話になっているけれど、カネがでたらみんなにお礼するよ。韓国に来たらご馳走するから」と言われていました。韓国に行く度にご馳走になっています)
(別れるとき)行くなら早く行きなさい。悲しいから。
(二〇〇九年七月七日ウリチブにて)