関釜裁判ニュース第56号

韓国訪問報告  

花房恵美子


今回の韓国訪問(七月三日〜八日)は前半は福岡で料理勉強会を一年半くらいともにしてきた若い人たち四人(プラス四歳の子供一人)と釜山での食べ歩きを主とした旅で、後半は花房二人で原告のハルモニたちや支援者を訪問する旅でした。(途中緒方君たちと合流しました)

 五日には若い人たちと別れてュー・Cさんと宜寧(ウィリョン)(陜川と馬山の中間くらい。釜山からバスで一時間半くらい)に住むパク・S(不二越)さんに会いに行きました。
不眠症がひどくて家族に迷惑をかけるからと、犬猫病院の二階の事務室の隣に暮らしておられます。一人なので話す相手もいなくてテンションが低くなっているし、耳も遠くなって、前年の三分の一も日本語がでてきませんでした。ューさんがいたから会話が成立したようなものです。三時間ほどいて、彼女の生い立ちや、最初に結婚した相手のことを写真を見ながらゆっくりと聴きました。だんだん顔色もよくなり、話も活発になり、最後は「富山に行くぞ!」と以下の歌を歌って盛り上がりました。
「日本は一億 特攻隊  この魂は 父も子も  歴史貫く魂だ」
老化と入眠剤の副作用で足元がふらついて階段の上り下りが大変なので、日本行きは難しいだろうなと哀しく思いました。

 六日は釜山からKTX(新幹線)に乗ってソウルへ行き、仁寺洞(インサドン)でカンさんやO君たちと合流し、キム・Jさんとナ・Fさんに会いに行きました。
五月の原告団総会にナさんはお墓参りで参加していなかったそうですが、参加したキムさんの十月の結審での不二越闘争にかける決意は固く、文字通り「決死」の気持ちが伝わり怖いくらいでした。「決心しました。私たちには時間がない。不二越の前で座り込みをして、帰らない覚悟です。」
ナさんは言いたいことはキムさんが全部言ってくれている。Sさん、Nさん、Tさん、Dさんに会いたい。とフルネームでいわれました。本当に優しい人です。
夕食を一緒にとって、別れる時、腰を曲げ体を揺らしながらゆっくり歩いていくお二人の後姿を見ながら、どんなに歩くのがつらいでしょうに、毅然としておられて頭が下がりました。
夜はカンさんと久しぶりにゆっくり話して、在韓被爆二世問題についての彼女の活動を聞きました。

 七日は午前九時にウリチブに着き、李順徳(イ・スンドク)さんや吉元玉(キル・ウォノク)さんとの再会を喜びあいました。
O君も合流し、吉元玉さんが「水曜デモはしたくてしているんじゃない。日本がちゃんとしてくれたらいつでもやめる。韓国の女だけでなく、男も皆日本にいけばすぐに解決するはずだ。」(李順徳さんの通訳)としっかり話してくださり、きちんと聞き取れないのが申し訳ないと思いました。 O君は十時過ぎには次の予定のために出られたのですが、そのあと三人になって李順徳さんは二時間くらい日本語で私たちに話してくださいました。
前日、日本語が出なくなった勤労挺身隊のハルモニに会ってきたばかりなので、十歳以上年上の李順徳ハルモニが(九十二歳です)日本語がここまでできることに驚愕しました。
その内容は後に書きますが、一番心に残っているのは、「人は死んだら目から光がでるそうだ。オレが死んだら光になってあんたたちの所に行って知らせるから、悲しんでくれよ」と言われたことです。そのときは絶句していたのですが、お昼ご飯を前のお店でご馳走になって、お別れしたあと、彼女の言葉が蘇って、泣きながら坂道を下っていきました。
三時間以上彼女と一緒にいたのですが、遺言を預かってきたような厳粛な気持ちになりました。

午後からはパク・SOさん(不二越)に会いに行きました。彼女は認知症がひどくなって今では、デイケアサービスセンターに朝から午後八時まで行っておられるそうで、其処に会いに行きました。大きなセンターで大勢の職員や患者や家族の方がひっきりなしに通られましたが、一階の認知症患者専用の手仕事作業室のようなところパク・SOさんはおられました。
私たちが入っていくと、童女のような笑顔で迎えてくれました。外の喫茶コーナーで一時間くらいいましたが、会話はできなく、最初に「乾杯!」と言ってコーヒーを飲んだくらいで、後はほとんど独り言に近く、近くを通る人を見るたびに「太っている」「痩せている」「女のくせに足を広げている」(言葉は聞き取れませんが身振りと表情でわかりました)と現在を実況中継しておられました。多分私たちの顔は覚えていても名前は忘れておられたことでしょう。もう彼女には過去も未来もなく、現在しかないのかもしれなく、それはそれで幸福なのかもしれないと思ったものです。彼女から「不二越」という言葉を聞かなかったのは初めてでした。

そのあと、挺身隊研究所を訪問しイ・所長と話し、同じ建物の民族問題研究所や補償推進委員会の李・ヒジャさんのところにもお邪魔しました。韓国のNGOの力の強さを感じたものです。
六月二十四日・二十五日の北九州での国恥百年事業共同推進委員会の日韓共同ワークショップでご一緒し、是非訪ねてくれと言われて、今回始めて訪問が実現しました。
夜はSさんと久しぶりにお話しました。話が尽きなく喫茶店が閉店してからも立ち話をして合計五時間くらい話したでしょうか。彼女の研究がフィリピンの戦時性暴力被害者を中心に広さと深さが増していて、前人未到の研究分野に入っていると思いました。
また、日本、韓国、フィリピンと定着して実践研究しておられるので、日本軍「慰安婦」問題解決運動や日本社会を相対的に見る視点は新鮮で学ばされました。

 八日は水曜デモの日でもあり、忙しい中を挺対協のユン代表に九時半から時間をとって頂き、ヤンさんに通訳をしてもらって、先述の北九州の日韓共同ワークショップでした花房(俊)の問題提起を話させてもらいました。

ヤンさんを通じて時間をとってもらったときに私たちは挺身隊研究所は挺対協の研究部門であると思い込んでいました。しかし、前日イ所長との話しで別組織であることを知りました。
ユン代表には真剣に聞いていただいてありがたく思っています。

釜山から帰国するので、十二時のKTXに乗らねばならず、ナヌムの家のハルモニたちにもお会いできず、十一時過ぎには挺対協の事務所をおいとましました。
関釜裁判ニュース 第56号 目次