「戦争展」と「ハートフルフェスタ」を終えて心に残ったもの
安倍妙子
私事ですがこの数年、体調の不調もあって市民運動をしばらく離れていました。
この春以降の運動再開は、色々な意味で私の内面に市民運動の継続の重要さと、その運動の度ごとに起きる新鮮な感慨が沸いてくる生命のエネルギーのようなものを体感する再出発となりました。
まず、米国下院の一二一号決議の波紋が全国の地方議会「慰安婦」決議にも弾みをつけていった事。そしてそのエネルギーは福岡でも発熱、4番目に花開きました。
歓喜する仲間たちの興奮の言葉を、私は回復していく自分の身体とともに聴きました。
ハルモニたちの残された時間がどんどん削られていく中で、この「慰安婦」決議の各地での採択はどんなにか私たちの運動の勇気付けになったことでしょう。今こそ真の解決をめざして踏ん張る時だと思いました。その実感とともに参加した二つの展示会での感想と報告です。
夏、その「戦争展」の中で、WAM(女たちの戦争と平和資料館)の『中学生のための「慰安婦」展』パネル展示会は開催されました。
立法ネットの仲間たちとともに展示会の設営と開催期間中の応援に参加して、見学に来た人たちと少しばかりの意見交換をする機会を持つことが出来、そしてその時に来場者から出た意見のいくつかを再び立法ネットの仲間と噛砕いて考える時間をもてたことは有意義なことでした。
この、中学生のための「慰安婦」展は、各展示会で在特会の妨害が活発に行われていたこともあり、私たちも多少の警戒心を抱いて展示会に臨みました。展示された資料の内容はとても詳しく解説されていて大きなパネルに仕上がっており、順を追って見ていくだけでもかなりの時間を要するほどの見応えのあるパネル展になりました。「戦争展」に行くチャンスのなかった人は、是非WAM編集発行の『中学生のための「慰安婦展」』(千八百円)購入してご覧下さい。パネル展の大部分の出展はここからです。
会場には初めて「慰安婦」という言葉を知った人からの新鮮な感想の言葉や、被爆者運動に関わっている人からの当時の「慰安婦」の現状への深い心の痛みと、「戦争のもたらす日本が受けた被害の苦しみとアジアの国々へ与えた加害への反省」への想い、そして長く憲法運動に関わっている人からの忌憚のない「なぜ焦点が中学生なのか」という疑問と意見が感想として述べられ、また、他の報告には「こんな事実はなかった!」と声を荒げて意見を述べる戦争体験者の言葉もありました。
後日の反省会ではこれらの意見について私たちも感想を出しあい、それぞれの意見を真摯に受け止めて今後の運動に生かすことを確認しあいました。
秋、定例参加となったハートフルフェスタ行事へのブースパネル展に今年も参加しました。
ここで使用したパネルは「在日朝鮮人『慰安婦』 宗神道(ソン・シンド)のたたかい」。
二年前に見た映画の内容も素晴らしかったですが、このパネルも最高の出来でした。
宗神道さんの言葉が生き生きと表されているのです。
“あーあ、母ちゃんが嫁ごに行けって言った時、黙って行っとけばよかったって言っても遅いもの(慰安所での生活)” “わかんねえ。わかんねえ。日本語もわかんねえし、座れと言ってもわかんねえ。何でもハイ、これでもハイ(慰安所での生活)” “死ぬことだけは 死ぬ神がつかねえでは死ねねえ。死んじゃったら煙草の灰と同じだから。(慰安所での生活)” “しゃべんなけりゃあ、温かいもの食ってるんだか、ぬるいもの食ってるんだか、分らないべっちゃ(裁判)” 等と、その「たたかい」の折々の言葉が生きた言葉としてそのままパネルの表示になっています。読みながら、宗神道さんのその深い感性に引き込まれていきます。パネルは沢山あったのですがブースの広さに限りがあり全部展示できなかったことは大変残念なことでした。しかしながら立ち止まる人は皆その言葉に惹かれて読み留まるのです。これはもう一度ゆっくり展示会を行う必要性を感じました。
また、「戦争展」でも、「ハートフルフェスタ」でも、DVD「私たちの公聴会」 日本軍「慰安婦」中国人被害者・万愛花さんと、韓国人被害者 吉元玉(キル・ウオノク)さんの証言(三十三分)を流しました。「慰安婦」の方々の証言は何度聞いていてもその体験は凄まじく、お二人の証言は同じところで同じように聴く側に胸の痛みを起こします。多くの人たちが聴く必要がある、とその度に思います。
政権が民主党に移り、世論を大きく変えていく大きなチャンスに出会っていることを感じます。
回復した私の身体に戻ってきた新しいエネルギーに力をもらいながら、このチャンスを「慰安婦」問題に心を寄せる人たちとともに生かす燃料として燃やしていこうと思います。