もうひとつの編集後記 前編集長の首都圏便り「関釜裁判」終身名誉編集長・Y
七月の暑い日、お茶の水女子大で開かれた、作家の津島佑子さんと申京淑(シンギョンスク)さんの「公開トーク」を拝聴してきた。彼女たちが「日韓往復書簡」という体裁でそれぞれに手紙を書いた文芸誌の連載が単行本化された、記念のイベントである。
申さんは一九六三年生まれ、現代の韓国を代表する女性作家。二年前に彼女の自伝的小説「離れ部屋」が翻訳出版されたときに、すぐに買い求めて一気に読んだ。ここ数年来読んだ小説の中でこんなに心を揺さぶられた本はなかった。
田舎の農家からソウルの女子高へ進学、そこは昼、工場で働き、夜に学ぶ学校。過酷な労働条件、組合の結成と会社との対立、そしてやはり夜学に通う兄と従姉と狭い部屋で暮らす青春。多感な十代の頃、韓国では朴正煕大統領の暗殺事件、光州事件が起きる。
ともすれば絶望的な気持ちになりそうな中、彼女はそのつらさを担任の教師に訴えると、教師は彼女にそれを文章にすることをすすめる。あふれるように出てきたノートいっぱいの彼女の文章を読んだ教師は、「作家になるといい」と励ますのだ。
小説は、有名作家になった現在の彼女と、過去の夜学時代の彼女のあいだを往還し、内省的な静けさに満ちた行間には、生きていくことの真摯な姿勢と、なぜ文章を書かずにはいられなかったかという切実な渇望が伝わってくる。
さて、会場では、きまじめな女子大生がそのままおとなになった、という感じの申さんは、津島さんとの通訳を介したやりとりでも、優しい姉を見るような信頼感を寄せていた。
それはふたりのお話にも随所に表れ、津島さんも申さんも往復書簡という企画で公開の手紙を書いたこと、お互いの国のことを語ることについて、何度も「信頼」「共感」「理解」という言葉が飛び出した。
これはまさに日韓の政治の関係でも同様だろう。歩み寄り、学び、信頼や共感や理解があってはじめて対等な関係が成立する。文学の世界で軽々と、日韓のわだかまりを超えている、民族以前の文学者同士の心のつながりが、伝わってくる夏の日だった。