関釜裁判ニュース第53号

(ニュース番外編)韓国訪問報告―原告団会議に参加して

花房恵美子 

 

 5月27日から30日まで韓国訪問してきました。このたびの韓国訪問は、29日の不二越訴訟の原告団総会に参加すること、関釜裁判の「慰安婦」原告・李順徳さんのお見舞いに行くこと、ストーンウオーク・コリアに参加するこという3つの目的がありました。

つらいことに、帰国した翌日31日に名古屋三菱女子勤労挺身隊訴訟の控訴審は棄却されました。

 27日に韓国入りしてストーンウオーク・コリアに参加して、28日は公州から「石」をひいて、途中の天安からKTX(韓国の新幹線)でソウルに行き、午後7時過

ぎに宿舎に着きました。翌日の第二次不二越訴訟原告団会議に出席するために、柳CANさんたち遠方の原告たちはすでに到着しておられました。また、春川の金景錫さんの追悼式に参加された北陸の支援会の方たちも宿に着かれていました。 

 原告団会議は原告が11人、弁護団から1人、太平洋戦争被害者補償推進協議会から4人、北陸連絡会から3人、、関釜から2人、通訳と総勢22二名の会議となりました。

 会議は4月27日の中国人強制連行裁判の最高裁棄却判決を受けて厳しい情勢の中で、北陸連絡会が経過報告と日本側支援者としての決意を述べ、李BOさんが原告を代表して挨拶をされ、さらに韓国支援団体を代表して金事務局長が韓国における支援法案の内容と成立をめぐる状況などを話され、判決に向けての行動提起をされました。そのあと弁護士が日本の裁判の仕組みを詳しく説明されました。

 羅FAさんは腰痛で、認知症がすすんでいる朴SOさんも、朴SUNさんも体調が悪く参加できず、木浦の成SUNさんも不参加でした。関釜裁判関係6人の原告のうち2人(柳CANさんと金JYOさん)だけが参加されました。

(後日、朴SUNさんから電話があり、足に水がたまって注射で抜いている状態でとても歩けないとのこと。富山に行って、そこで死にたい。と話されました。)

 

 会議は4月27日の中国人強制連行裁判の最高裁棄却判決を受けて厳しい情勢の中で、まず北陸連絡会からこれまでの経過報告をされ日本側支援者としての決意を述べられました。

 次に李BOさんが原告を代表して挨拶をされ、さらに韓国支援団体を代表して金さんが韓国における支援法案の内容と成立をめぐる状況などを話され、判決に向けての行動提起をされました。

 判決に参加する人と言ったら皆さん手を上げておられました。

 そのあと弁護士が日本の裁判の仕組みを詳しく説明され、弁護団としての方針を話され、8月17・18日に弁護団として再び韓国に訪れることを約束されました。

 朝10時から午後1時くらいまで会議をして、その後近くの食堂で昼食をとり散会しました。わたしたちは柳CANさんと金JONさんと宿舎でしばらく話をしてから、柳CANさんと3人でSOさんの家に行きました。デイ・ケアサービスから帰った朴SOさんは私たち3人の訪問を本当に喜んでくれました。「花房(俊雄)さん。痩せたね。」「恵美子さん。太ったね」「いつ(日本に)帰るか?」この3つが2時間くらいの滞在時間に繰り返されました。

連れ合いのハラボジはほとほと困っている様子でしたが、早めに仕事を終えて帰宅したお嫁さんは、はじめて聞いたようにけろっとしていて、その包容力に感嘆しました。

 デイケアサービスも小得さんの自尊心を傷つけないように、働きに出ていることになっているそうです。多分いろんなリハビリのための作業を「仕事」だと説明されているのでしょう。小得さんは生活費の支援をしていると思っておられました。

 夜、CANさんと仁寺洞を散歩して宿舎に帰りました。CANさんは気持ちはお元気でいつも前向きですが、明らかに痩せられましたし、足が弱くなられました。「こんなふうに一緒に過ごせるのは最後かもしれないね。嬉しかった。」と言われ、その言葉はわたしのなかにすっと入っていきました。

 翌日の30日朝、釜山に帰る柳CANさんをソウル駅まで送り、李順徳さんの入院している永登浦の聖母マリア病院に向かいました。(彼女はベッドから落ちて、あばら骨にひびが入って入院していました)

 受付で病室を尋ねると、昨日退院したとのこと。あわてて引き返し、ようやくウリチブについたときは11時半に近くなっていて、責任者のソン先生は「水曜デモに行きましょう」と誘ってくださいました。水曜集会に参加することは時間的に可能でしたが、前に、光州で、李順徳さんの家に行くことにしていて、彼女はご飯を用意して待っていたのに、前の予定が延びて、5分もいられず、会ってすぐお別れしたことがありました。

彼女はその後号泣したそうです。何度も何度もその話をされましたので、会ってすぐお別れすることはできなかったし、またウリチブに帰れたとしても飛行機の時間があるので直ぐ出なければいけないのは目に見えていたので、悩みましたが、残ることにしました。

 李順徳さんも本当に喜んでくれました。私は彼女に会うのは2年ぶりです。ハルモニがウリチブで穏やかで安らかに暮らしておられることはすぐわかりました。気持ちのいい風が家を流れ、静かで素敵な居住空間でした。一緒にご飯を食べ昼寝までしていたら、水曜デモに出られたソン先生と吉元玉さんや李容洙さんが帰ってこられました。

 李容洙さんさんはますます若く、元気で、オーラがでているようでした。この間、アメリカに行ったり、日本に来たりと大活躍でしたが、会うなり、福岡でKO党のH議員を紹介してくれた人の名前が出たりして、その記憶力と活動範囲の広さに唖然としたものです。

 帰国するとアジサイが満開になっていて、菖蒲はもう盛りを過ぎつつありました。韓国の沿道の家々の庭には真紅のバラが咲き誇っていましたが、その鮮やかな色はハルモニたちの顔とともに蘇ります。

 

 

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