関釜裁判ニュース第53号

判決の問題点と今後 

花房俊雄 

             

はじめに 

 不二越第一次訴訟が最高裁で和解したのが二〇〇〇年。翌年関釜裁判が広島高裁判決で敗訴した直後、不二越女子勤労挺身隊原告の朴・SOさん、柳・CHAさん、朴・SUN)さんが「国を相手にしても勝てないから、企業を相手にしていきたい。」と訴えた。支援する会はその訴えをを受け止めて、不二越相手に最高裁和解に準じた解決の交渉を持ったが、不二越企業は和解を拒絶した。背景にアメリカ・カリフォルニア州議会で一九九九年に成立した向こう一〇年間の時効を猶予したヘイデン法に基づく訴訟で、必ずしも在米日本企業が敗訴しないことが明らかになったことがある。

 韓国の江原道遺族会と光州遺族会に申告した女子勤労挺身隊達等と合わせて二二名が第二次不二越訴訟を起こしたのが二〇〇三年四月であった。四年余を経て富山地裁の敗訴判決が下りた。関釜裁判の原告たちにとっては、一九九二年提訴以来実に十五年、四度目の敗訴を迎えたことになる。朴・SOさんは認知症が進み、朴・SUNさんは相変わらずの不眠症が深刻で、共に来日することが困難であった。八月ソウルで開かれ原告団総会に出席した柳・CHAさんは、弁護団から勝訴の可能性が少ないとの報告を受けて四度目の敗訴の場に立ち会う気力を喪失して来日されなかった。

 今回来日した原告は元女子勤労挺身隊六人と亡き原告の夫一人であった。原告のうち元気に来日できたのは三分の一に満たない。福山のTさんの報告通り判決後不二越に乗り込んだ原告たちは、二二名の原告たちの怒りと悔しさを担ったかのごとく不二越中心部に向けて突入していった。その燃えるような闘いぶりは支援者たちの心をわしづかみにする迫力に満ちていた。

 さて判決文の検討に移ろう。

 

◆ 判決の内容

第二次不二越訴訟は不二越企業と国を相

手に未払い賃金(月額三〇円×労働従事月数)と強制連行・強制労働被害への慰謝料各五〇〇万円、ならびに公式謝罪を求めたものである。関釜裁判の原告たちはすでに国を訴えていたので不二越企業のみを被告とした。

弁護団たちがもっとも努力した事実認定に関して、判決は、

「本件勤労挺身隊らは、勧誘者からの欺罔または脅迫により、勤労挺身隊に参加したと認められ、強制連行されたというべきである」「本件工場における労働は、同人らの年齢に比して過酷なものであり、これに対して賃金が支払われることもなかったこと、寮における生活についても、戦時中とはいえ、十分な食事を与えられることもなく、衛生環境も良好であったといえず、外出は制限され、手紙も検閲されていたことなども認められ、…これは強制労働であったというべきである。」  

と国と不二越の不法行為を認定した。

 だが原告側の訴えは、サンフランシスコ平和条約・日韓請求権協定により原告たちに裁判を起こす「権能が失われている」として棄却された。

 判決で展開された論理は、今年四月二七日最高裁が西松建設・中国人強制労働訴訟を「日中共同声明で中国政府は中国国民の請求権を放棄した」との判断で原告敗訴とし、同訴訟にとどまらず全ての戦後補償裁判に「サンフランシスコ条約・二国間条約で解決済み」との日本政府の主張にお墨付きを与えた判決を忠実に踏襲したものである。要約すると

 《すなわち、サンフランシスコ条約は日本国と連合国四八ヵ国との戦闘状態を最終的に終了させ、将来に向けてゆるぎない友好関係を築くために双方の国と国民の請求権を放棄した。すなわち平和条約の目的達成の妨げになる被害者の民事裁判による権利行使を封じたのである。その後の二国間条約はサンフランシスコ条約の枠組みでなされ、日韓協定二条で日韓両国及び国民の財産、権利、利益のみならず請求権も完全かつ最終的に解決された。「ここでいう請求権の『放棄』とは請求権を実態的に消滅させることまで意味するのではなく、当該請求権につき裁判上訴求する権能を失わせるにとどまると解するのが相当である」》となる。

 請求権は消滅したのではなく実態としてはある。しかし裁判で行使することは出来ない、すなわち《訴えることができない請求権》という理解困難な主張で棄却したのである。この判決の背後には日本政府の請求権を巡るご都合主義的な混迷と変節がある。

 

◆ 請求権をめぐる日本国の主張の迷走と最高裁判決の問題点

@ そもそも日本政府は一九六五年日韓協定

締結以降、同協定により韓国人に対する戦後補償問題は完全に解決済みと主張してきた。

A ところが被爆者やシベリア抑留者等日本人の戦後補償要求で、サンフランシスコ平和条約や日ソ共同宣言で請求権を放棄した日本政府に矛先が向けられると、日本政府は「日本国民の請求権放棄」は外交保護権のみ放棄したのであり国民の請求権は消滅していないと裁判所や国会で答弁。

B その後韓国人の戦後補償裁判が始まり、右の答弁を引用しての日韓協定に関する国会質問に一九九〇年代はじめ日本政府は、《日韓協定は外交保護権の放棄であり、個人の権利を国内法的に消滅させたものではない。「財産、権利、及び利益」については措置法で国内的に消滅させたが「請求権」はこの限りでない。請求権に関して韓国人が日本の裁判所に訴訟を提起できる。請求が認められるか否かは裁判所が判断することである。》と答弁

(*後述の政府答弁を参照ください)

C 一九九九年ヘイデン法の成立によりアメ

リカの元捕虜やアジアの強制労働被害者がアメリカの裁判所に続々と訴えを起こす事態に、日本政府はこれまでの見解をかなぐり捨て、サンフランシスコ条約ならびに二国間条約でで個人の請求権は放棄した」と主張してアメリカ政府に強力なロビー活動を展開した。テロとの闘いに日本の協力を必要としたブッシュ政権は日本政府の主張を受け入れ、司法省を通じて裁判所に強い申し入れを行い、「サンフランシスコ条約で解決済み」を基調にして、ことごとく訴訟を棄却させた。

D 一方国内の戦後補償裁判で国側の国家無

答責や時効・除斥の主張が下級審で覆されていく事態に直面し、サンフランシスコ条約、二国間条約で請求権に関する問題が解決済みであるとし、「韓国民が『請求権』をどのように法的に構成して、日本国及びその国民(企業)に請求しても、日本国及びその国民はこれに応ずる法的義務がない」と主張し、従来の裁判所の判断にゆだねるという説を覆したのである。

E 一方韓国政府の日韓協定に関する見解は、

《韓国民の財産権は消滅したが、重大な国際法違反の人権侵害に伴う請求権は消滅していない。請求権協定で議論されていない日本軍「慰安婦」問題の解決は引き続き日本政府に誠意ある措置を要求する。》というものであり、同じく議論されなかった女子勤労挺身隊問題も解決済みではありえない。

F 日中共同声明には個人の請求権の放棄は記されていない。中国政府も「個人の請求権放棄していない」と主張している

G サンフランシスコ条約の締結に当たってもオランダ政府は「請求権の放棄は外交保護権を使用できないとのことであり、オランダ国民は日本政府や日本国民を相手取って日本の裁判所に提訴できる」とする解釈をしていたのである。

H こうしたことの全てを知りながら最高裁判所が、サンフランシスコ条約、日中共同声で解決済みとして戦後補償裁判の命脈を絶つ判決をしたのは、まさに正義と公平にもとる判決であるといわざるを得ない。日本政府の主張に完全に迎合する政治選択を最高裁は選択したのである。その最高裁判決に愚直に従ったのが今回の富山地裁判決であった。

 

◆ 今後の課題

ブッシュ政権が日本政府のロビー活動を受け入れたのは9・11以降の「テロとの戦い」に突入した時期で、政権内のネオコン全盛の時代であった。その後、選挙で上下院とも野党民主党が多数派になり、ブッシュ政権内からネオコンが退場するに及んで、日本軍「慰安婦」決議がアメリカ議会で決議されたのはつい最近のことである。

 一方、最高裁が西松建設訴訟の高裁判決を覆し、「請求権の放棄」で弁論を開くことを決定したのは今年の一月で、安倍政権の発足を見守ってからである。日本のネオコンが政権中枢を占める時代の空気を読んだかのごとき決定であった。その後、参議院選挙で与野党逆転、安倍首相の退陣、ネオコンの政権中枢からの退場と日本政治の潮の流れが大きく変わり始めた。

 名古屋高裁金沢支部に移っての今後は、「日韓協定で請求権を放棄」したとする一審判決との闘いになる。韓国の支援者は「韓国で公開された韓日条約関連文書の中の請求権に関する箇所を日本語訳して、日韓の共同研究で『請求権放棄論』を覆していきたい」との提起があった。

 法廷内での闘いと供に決定的に重要なのは、これまで野党共同提案の議員立法「真相究明法案」や「慰安婦」問題解決促進法案をはじめとした立法化に向けての活動や、韓国と連携した「遺骨返還・真相究明」運動などの活性化を通して、近隣諸国との対立から和解へ、狭小なナショナリズムから北東アジアの平和へと世論の転換を推し進めていくことであろう。

(以上、判決に立会い、、原告被害者たちの尽きせぬ怒りと悔しさを肝に銘じて書きました)

 

 
* 政府答弁(一九九二年二月二十六日  衆議院外務委員会)

「柳井政府委員…・それで、しからばその個人のいわゆる請求権というものをどのように処理したかということになりますが、この協定におきましてはいわゆる外交保護権を放棄したということでございまして、韓国の方々について申し上げれば、韓国の方々がわが国に対して個人としてそのような請求を提起することまでは妨げていない。しかし、日韓両国間で外交的にこれを取り上げるということは、外交保護権を放棄していますからそれはできない、こういうことでございます。

…・・その国内法によって消滅させていない請求権はしからばなにかということになりますが、それは個人の請求権を提起する権利と言ってもいいと思いますが、日本の国内裁判所に韓国の関係者の方々が訴え出るということまでは妨げていないということでございます。

…ただ、これを裁判の結果どういうふうに判断するかということは、これは司法府の方の御判断によるということでございます。」

 

 

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