裁判を傍聴して安倍妙子
私は傍聴席の抽選に落ちましたが、遠方からであるという事と原告者達を身近で見守る医療従事者としての役割を頂いて、前方列の傍聴権を譲っていただきました。
『開廷中に誰も倒れませんように』準備された人数分のペットボトルを椅子の横に携えて、私の目は役目どおりずっと原告たちの表情を追っていました。
入廷後、原告代表の李・BOさんは一人の被害者の遺影を抱いて原告席に、その後ろには残り五人の原告と亡き原告の家族が遺影を抱いて裁判長たちの入廷を待ちました。裁判官たちが入廷し写真撮影が始まると同時にざわめきがなくなり、法廷内はシャッターを押す微かな音だけになりました。原告たちは身体を揺らさず、とても落ち着いて座っていました。李福實さんが大きく目を開けて姿勢正しくしっかり前を向いているのが印象的でした。
午後二時過ぎ、裁判長が静かに判決を言い渡しました。 「主文、原告側の請求をいずれも棄却する」。誰も何も音を出さず、ただ裁判長の声だけが静かに流れました。この時李・BOさんの目は閉じられ、時々支える遺影がかすかに動きましたが、裁判長の読み上げる言葉を一言一句聞き漏らすまいとしているように見えました。
「勧誘者の欺罔で、勤労挺身隊に参加したものと認められ」、「強制連行されたというべきである」。という文言が耳に入ると、李・BOさんは時々開眼し、口元をきゅっと閉めて空を見つめるような様子をしていました。身体ごと耳を傾けて通訳者の言葉を介して聞いているハルモニ達の前方で、李・BOさんは全ての言葉の意味が理解出来ているのだなとこの時傍聴席から私は確信したのでした。
判決が言い渡されて裁判長たちが退廷するまで五分しかかかりませんでした。
後ろ向きになった裁判官達にNさんが叫ぶような声で訴えました。
「裁判長!あんまりじゃありませんか、原告の訴えを認めてください!」
「この判決では納得できません!」「もう一度法廷に戻ってください」
傍聴席ギリギリの境界柵まで詰め寄って声を上げるNさんに続いて、私たち傍聴者も次々に声を上げました。「不当判決だ!」 「恥を知れよ」 「恥ずかしいよこんな裁判」 「歴史を正しく見たといえるのか」 「もう一度戻ってこいよ!」
それまで遺影を抱いて口をつぐんでいた李・BOさんが、この時初めてその声を上げて言いました。「この裁判は無効です!あなた達、もう一度ここに戻ってきなさい!」そして遺影を両手で高く掲げて言いました。
「この遺影を見なさい! あなた達はこの人たちに恥ずかしくないのか!こんな間違った裁判をして良心はないのか!」 首を大きく横に振りながら、法廷内に残っている裁判所の職員達に向かって怒りを表しました。
全OKさんは白いポリ袋を掲げて、韓国語で叫びました。その言葉の正しい解釈は韓国語を知らない私には出来ませんが、身体の揺れや手の動きから、この日の朝に聞いていた全玉南さんのお話、「不二越の社長の片足でももぎ取って韓国に持って帰って川に流してやる」と言っていたのと同じ内容である事が容易に想像できました。全・OKさんはそれほど身体全身で怒っていました。
羅FAさんは、杖で身体を支えながら職員に詰め寄っていました。羅CHAさんも、安・KIさんも同じでした。この五人のハルモニ達の後ろで、崔・HISさんと、遺族の金・MYOさんが二人少し離れた位置で静かに哀しそうに立っているのが印象的でしたが、後々に、この崔・HISさんが不二越敷地内での抗議に大変健闘なさったと知り、怒りの表現には人それぞれの味があるのだという事を、その話を聞いた時に強く感じました。
裁判所の職員の中で目を赤くして泣き顔になっている人を見つけましたが、この人は後に通訳者ではないかと思いました。他の職員達も直ぐに立ち去る事をせず、むしろ身動きする事が出来ずにただ黙って立ちすくんで私たちの抗議をじっと聴いているような印象でした。
いつまでも原告も職員達も退廷しない長い時間が流れているようで、羅・CHAさんの手を引いてようやく外に出た時、声高く書くシュプレヒコールが裁判所の前で挙がっているのを聞いて、この裁判が終ったのだとやっと私は実感をしました。
原告たちは最後まで誰も倒れず、力強く不当判決の抗議を続けました。持っていた人数分の水は役に立つ事もなく、記者会見場へと急ぐ原告たちと共にバスの中の袋に戻されたのでした。