関釜裁判ニュース第53号

不二越判決行動に参加して

花房恵美子 

 

 不二越第二次訴訟の判決の場に立ち会うことはつらいことだが現場で見届けなければいけないと、半ば責任感に背中を押されて富山入りしました。結果は、学ばされ、考えさせられることの多い日となり、行って良かったと思います。

 判決言い渡し前、午前中に時間があったので原告団長・李・BO)さんと話ができました。

 原告団自ら韓国の支援団体を選んだことが、原告たちの自己決定感情を高めただけではなく、原告団の結束も固めました。その一方、責任者である・李BOさんはその「決定」の責任感を背負っていることを知りました。「迷惑をかけられない」「最後まで闘う責任がある」「頑張らなくてはいけない」…と何度話されたことか。

判決前の緊張感のなかで「自分のことを言っておられない」「負けるわけにいかない」「東アジアの平和のためなんだから」「引くわけにはいかない」と話続ける彼女のそばで、「そんなに責任を背負わないでください。切ないです。」と泣くことしか出来なかった自分に情けない思いでした。

 

 判決後直ちに不二越への抗議行動が行われました。(詳細はT・Kさんの報告参照)この行動の後の原告たちの晴れ晴れとした表情をみていると、何度も韓国で原告団会議や説明会を開き、説明と意思確認をしてきた弁護団と北陸連絡会、サポートしつつ共に戦ってくれる韓国の若い人たちの存在に原告ハルモニたちがどれだけ励まされ、希望を見出してきたのかを想像することが出来ます。

一身に責任を背負っていた李・BOさんの誇りに満ちた美しい顔も印象的でした。

 

 関釜裁判関係で来日できたのは羅・FAさんだけで、金・JYOさんは足痛とパーキンソン病が悪化し、朴・SOさんも、朴・SUNさんも体調が悪く来日できず、成SUNさんも参加できませんでした。。足が弱っても気持ちは元気な柳・CHAさんは「何度も負ける話は聞きたくない」と、来日されませんでしたが、「どうだったか?」電話があり、「裁判してもだめだと家族に話をしたら、孫に、『十年以上何度も日本に行って、色んなところを回って、楽しい思いをしたんだから良かったじゃないか!』と言われて、本当にそうだと思っている。今度はあんたたちが韓国に来なさい!」。

朴・SUNさんは日本語が読めるので、判決記事他を送っていたのですが、「悔しくてたまらない!富山に行きたくても体が悪くていけない!・・と電話して来られました。恨を行動で晴らすことが出来なかった原告たちが心配です。

 

 前進していないかのようにみえる戦後補償運動の歩みは、逆風のなかで前に進むことをあきらめなかった人々の力によって支えられていることも実感しました。

不二越の裁判支援はもちろん、名古屋三菱女子勤労挺身隊訴訟の支援団体も毎週金曜日に東京三菱本社前抗議行動を行っているそうです。さらに現在進行中の戦後補償裁判、国連・ILOなど国際機関や国際世論に訴える運動など。そしてなにより、韓国での被害者たちの闘い。・・

 今回は、原告団・太平洋戦争被害者補償推進協議会のかたたちの気力あふれる創意的な闘い、弁護団の活躍、北陸の皆さんの献身的な支援活動には勇気付けられました。。

原告団のパワーはいまも身近に感じています。原点を思い出させてもらった感じです。

 

 

 

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