関釜裁判ニュース第53号

不二越訴訟不当判決   

       事実認定するも、「付言」すらなく

T・K(福山)

 

【遥々・・・富山、聞いた判決は】

 九月十九日朝五時、広島・三次・福山の五名で車に乗り合わせ、福山を出発。日本海の潮風と小松空港上空の自衛隊の編隊飛行に出迎えられ、十二時すぎに富山地裁に到着。これまで十四回の口頭弁論がありながら、私自身は今回始めての参加です。福岡の皆さんとも久し振りにお会いでき、傍聴の抽選。三四名の席に対して七九名のところを福山の二名とも当たり、皆さんに恐縮しながら法廷に入らせてもらうことにしました。裁判所前で向かえた原告団は、李・BO団長を先頭に、七名の原告と弁護団が、裁判中に亡くなられた二名と金景錫(キム・ギョンソク)さんの遺影を胸にゆっくりと歩んでこられました。

 午後二時、いよいよ判決。佐藤真弘裁判長は、「原告一名の訴えを却下。二一名の請求を棄却する。」と主文を述べ、判決理由に。強制連行、強制労働と認定しながら、最後に日韓協定により放棄されたと言い切り、法廷を後にしようとしました。この間約五分、「この判決では納得できない。」の声に我にかえったように、「不当判決。裁判長は帰ってこい。恥ずかしくないのか」と皆で声をあげました。

 

【不当判決抗議】

 やむなく法廷を出て、玄関前で手の平で地面を叩く原告に叱咤されながら、李団長・金銀植(キム・ウンシク)氏の抗議声明を受け、裁判所に向け、シュプレヒコール。おさまりがたく、記者会見会場の市民プラザに向けデモ行進。「不当判決」「不二越は未払い賃金を払え」と訴えました。

 

【記者会見】

 午後三時からの記者会見では、立教大学の山田名誉教授、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会の高橋共同代表、強制連行・企業責任追及裁判全国ネットの持橋代表、同じく谷川氏、関釜裁判の花房事務局長の話の後、弁護団を代表して島田弁護士が、判決の問題点として、「今回の判決は、事実認定は詳細にしている。西松訴訟の最高裁判決を踏襲しているが、最高裁での企業及び関係者への解決を求める『付言』がない点で、後退している。日韓協定自身の協議内容・解釈を疑う必要がある。当時の皇民化教育による被害を明らかにする必要がある。」と次々と指摘し、弁護団声明を発表。神戸大の五十嵐教授から国際法上の問題点が指摘。

 遅れて参加された原告が、不二越に対する怒りやトコトン闘う決意を表明され、会場は熱気に包まれました。補推協(太平洋戦争被害者補償推進協議会)の金銀植事務局長からは、日韓協定で放棄したのは外交保護権のみであるという従来の日本政府の見解に矛盾する判決を国際的に追及するという提起があり、原告全員が控訴することを宣言されました。記者からの、最高裁判決に対してどう闘うのかの質問には対して島田弁護士は、「最高裁は『対人主権』という考え方で説明したが、国家間の条約では重大な人権違反となる権利の放棄はできないという法理で、判例を覆していく」と決意を述べられました。

 

【鬼気迫る本社抗議】

 この声を直接ぶつけようと、全員が直ちに、不二越本社正門に駆けつけました。午後五時前、私たちが到着したときには、既に、原告たちは、正門から五十m程直進した構内に座り込み、警備の担当者に対して「裁判所は事実を認めた。社長に会わせろ」と迫っていたところ。私たちも、社員証を見せろと迫る警備員に「はい。はい」ととぼけながら、これまで何度掛合っても入れなかったという不二越構内に堂々と入りました。五・六人の警備員では多勢に無勢でオロオロするばかりという感じ。気が付けば、正門や構内は、今年になってピカピカに改装されているということで、いかにもモウカッテマスと開き直っているように見え、判決への怒りがさらに燃え上がるばかり。

既に退社時刻になったのか、三々五々通り抜けていく社員を横目に、警備責任者は、「まず構内から出てください」と繰り返し仁王立ち。しかし、韓国のハルモニは強い。孫のようになだめ、取り囲み、引っぱり回し・・・支援の私たちは半ば唖然とし、シュプレヒコールを繰り返す。とうとう、担当者は「文書で申し入れしてください」と辛うじて逃れたものの、文書への回答は「今は会えない」というもので、原告たちを先頭に会社本部を目指し押し合いへし合いし、さらに百m程前進し、玄関前に座り込み。さあ出てこいと睨み合い。既に日も暮れ、照明が次々と消える中、担当者はついに警察を呼ぶと叫ぶ。これには原告たちも「警察を呼ぶなら、ここにいる給料泥棒を捕まえてくれ」と黙っていない。膠着状態のまま、しばらくして遠巻きに歩いてきた四名の警官は、さすがに強権発動とはいかない。原告団、補推協、支援の協議の中で、明日改めて話すとの提案に対して、納得はいかないものの、次の集会も始まるということで明日に期し退くことに。

この間、二時間半、原告たちの底力は、最高裁判決を踏襲しながら、企業への「付言」すらしなかった判決を、糾弾し、自ら補おうとする粘り強い行動であり、頭が下がる思いでした。私は、この行動に参加できたことに感謝し、改めて責任の重さを確かめました。

 

【報告集会】

 午後七時からのサンシップ富山での報告集会は既に半ばとなっていて、前半の判決への見解などは他の報告に譲りますが、各地からの報告では、司会者からの、最高裁判決でのサ条約の恣意的解釈を攻め口にして希望を見出せること、名古屋での判決に向けた多岐に亘る取り組み、全国ネットによる国際舞台での取り組み、今回判決で事実認定をしたことを活すことが要などの、提起が印象に残りました

 

【献花・追悼式】

 翌日午前八時前、不二越正門は完全に閉鎖。社員は社員証を提示しないと入れない。会社役員らしい車も、トラックも裏門の方へ。昨日の担当者はどうだと言わんばかりにフェンスの向こうで反り返り。こちらは横断幕を張り巡らせ、ビラ配布とマイクでの訴え。従業員の足が途絶えたところで、構内の片隅にある「勤労の碑」(第一次訴訟の和解の結果建立。)に原告たちが献花。ここでも不二越は、二名毎に入れと言う。なにかにつけ潔くない。「ようこそ」の看板が泣いている。道路から見えた石碑は、世間に背を向けるように碑文は見えませんでした。

 続いて、正門に祭壇を設け、三名のハルモニの遺影を掲げ、不二越に強制連行され亡くなられた方、裁判中に亡くなられた方への追悼式が営まれました。遺影の中に、姜徳景(カン・ドクキョン)さんの懐かしい顔があり、生前の姿や描かれた絵が思い浮かび、今は亡き方々を偲び、一刻も早い解決を誓いました。

 昨日の抗議に続き、再度社長への面会を求め、李団長と北陸連絡会の新谷さんが構内で交渉。今回最後に出た回答は、「遠い将来とも会えない。判決については検討している。」という素っ気ないものでした。それでも、原告たちを囲み、正門前でがんばろうのこぶしで記念撮影。金沢での再会を誓い、富山を後にしました。 

 駆け足で見た富山は、不二越を狙っての空襲の跡を思わせる「平和通り」、富山城・県庁の周辺の石碑、不二越周辺の町並みと、この街も戦争の痛みの上にあることを思い知らされました。原告・弁護団の皆さんご苦労様でした。富山や全国の皆さん大変お世話になりました。

 

 

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