ついに 第二次不二越訴訟 判決! 2007年9月19日 午後二時(富山地裁)
最終準備書面
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第二次不二越訴訟結審!武藤 (福山)
第2次不二越訴訟の結審が、三月二十二日富山地裁で開かれるというので広島の土井さん、三次の塚本さんと一緒に裁判支援のため、初めて富山に行ってきました。韓国から三人の原告(李B0さん、羅CHAさん、亡くなられた林永淑さんの夫金明培さん)が来日され、李BOさんが、口頭弁論で「千六百名の仲間を代表し二十三名が選出され、裁判を始めた。これまでに三名が亡くなり、いまも精神をわずらっている人もいる。すでにみな七十五歳を過ぎている。日本に来たくても来られない原告にも耳を傾けてほしい。日本人教師からお花が習えるなどといわれ不二越に強制連行され、空腹に耐えながら十二時間労働を強いられた。あまりにも幼く先生がうそをつくとは思わなかった。まして強制労働、暴力があるとは思わなかった。戦争であればひどいことをしていいのか、日本人少女でこのような目にあった人がいるのか」と改めて不二越と国に対する怒りを訴えました。判決は九月十九日に決まりました。
裁判のあとの記者会見で弁護団は「日韓請求権協定は、原告らの請求権を消滅させるものではない、国は国家無答責を持ち出したが、悪いことをして罰せられないということは認められない。国際人権法の重大な違反による被害に時効の適応がないことは国際的に確立されたこと」「裁判所が被害実態をどこまで認めるかということで判決が六ヶ月後になったのではないか」と述べました。李さんは、「万が一、九月の結果が悪くてもそこでやめない最後までやり遂げる、ひとり欠けふたり欠けても半分になってもやめない」という裁判にかける強い気持ちを述べ、更なる支援ともっと世論を喚起するよう呼びかけました。
駆け足での裁判支援でしたが、短い時間で聞いた李さんの思いを福山でしっかりみんなに伝え、九月十九日という日が原告を含む「千六百名の仲間」にとって最良の日になるように力を尽くそうと思いました。最後にお世話になった土井さん、塚本さん、富山のみなさん、ありがとうございました。
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土井(広島)
心にかかりながら、富山地裁までは遠くて裁判傍聴がなかなかできない中で、結審には是非行かなくては、との思いが有りました。それで早くから福山と県北の方々に呼びかけて、武藤さんの車で行く事が実現しました。北陸連絡会のSさんから、到着後裁判まで休憩できる場所と地図が送られてきました。大きな車、交代での運転、そしてNさん宅での休憩で、裁判前後の夜行旅行という切り詰めた日程でしたが、楽しい傍聴旅行でした。
結審には前日の講演会の講師、斎藤貴男さんを含め東京からの傍聴者もあり、不二越会社側3人、報道関係者と支援する会側で満席になり、あふれて交替された方もありました。原告李BOさんの陳述を聞きながら、植民地支配と侵略戦争という負の歴史を二度と繰り返さないために、その歴史から学ぶ事無く戦後60年を生きてしまった日本人の問題を思わせられました。介護を必要とするようになった両親をみながら、その歴史を生きてきた二人と戦争責任の問題について話すこともなく過ごしてきたことが残念です。
戦後補償裁判や歴史教科書の共同制作などを通して少しずつ加害者側と被害者側との国境を越えたつながりができてきています。安倍政権誕生後ますます戦争国家への動きが加速される中で、第二次不二越訴訟の判決が、正義にもとづく平和を願う、普通の人びとの思いに適う判決であるように心から願っています。