関釜裁判ニュース第52号

証言を聴いて 〜 ピースロードに参加して感じたこと

KN(大学院生)

 

「Peace Road(ピースロード)」とは、韓国や日本の大学生や同世代の若者を中心に、日本軍「慰安婦」問題をテーマにしたワークショップのことで、韓国の「ナヌムの家」に一週間寝泊りしながら、日本軍「慰安婦」問題とは、若い世代にとってどんな関連性があるのか、参加者たち自身で主体的に考え、取り組んでみようというもの。

内容は、被害女性から直接被害実態を話してもらう「証言」の時間、日本軍「慰安婦」歴史館の見学、被害女性との対面と交流、水曜集会や関連団体への訪問、参加者同士の意見交換と討論、フィールドワークなど。(呼びかけ文より)今年も福岡から3名の若者が参加しました。 

二月三日〜九日に行われたピースロード二〇〇七springに参加して、イ・オクソンさんの証言を聴く時間が、自分自身いちばん身構え、心苦しく思う時間だった。刀で切りつけられ捻られたという腕の傷を見せながら「どうして私が嘘をついていると?」と憤る。嘘をついているなんて、思わない。連行され慰安所まで行き着くまでの詳細な経緯、慰安所で起こった一連の恐ろしい出来事は、今も癒えぬ怒りがあるからこそ鮮明に語られ、ただひたすら痛ましい。でも日本には心無いことを言う人たちもたくさんいるのはわかっている。証言を疑うこと、否定することから始めるのではなく、まずは証言を尊重することから始め、そこにどのような力関係が生じるのか考えながら次の段階へ進めないだろうか。

証言を聴くということは、思い出したくない記憶、臨場感を呼び起こさせるような、辛さの再現を強いる行為でもある。声にならない声までも聴き取ろうとし、表情が物語る痛ましい過去を想像し補おうとしながら、「被害者」と「そうではない自分たち」という差を作り出す場にもなる。単なる普通の生活者ではない、被害者という、悲惨な経験をした人としてとらえるまなざしが形成され、そこに当事者を追い込むことでもある。語りにおける当事者性というリアリティをもってこそ、悲惨な体験を訴え戦時性暴力を問題化し、謝罪と補償へ向けての運動ができない面はあるけれど、これらのことに無自覚に望むことはできない。

それでも、ピースロードというワークショップで、「慰安婦」問題に関心がある学生たちの前で証言してもいいという承諾のもと、真摯に言葉を受け止めることは、誠意を持ってこの問題を考え学生同士連帯し行動して行く上で意義のあることになるだろう。彼女たちの怒りや悲しみは決して消え去ったわけではない。「過去の非常事態における出来事で、現在の感覚でものを言うのはおかしい」という否定的論調もあるが、それこそ現在の感覚でものを言っており、厳密な検証の可能性を封殺することになる。長年の沈黙は、沈黙させられていたことを物語る。社会に聞く余裕がなければ、発言は生きない。この問題は解決していない。誠意ある謝罪がなされていないからこそ、今なお生きる訴えがあるのだ。聞く耳持たぬ人が多いからこそ、聴き届け、考え、証言の重みを感じ取ることは大切なのではないだろうか。

言葉で出来事を伝えようとすることは、完全には為しえないことなのかもしれない。語りにおいて、選び取られる一つ一つの言葉は、十全ではない。壮絶な体験の過剰さ、言葉からあふれ出る過剰さは、解釈される際に削ぎ落とされかねない。だから、思いに寄り添うよう精一杯聴き届け、思い描いて補って、できる限りすり減らさないように別の場へ出来事を伝えていきたい。そして暴力とは、理解を超える、言葉にならない、理不尽な過剰さなのだと思う。

奇しくもアメリカ下院の動向が注目され、日本で「慰安婦」問題が再び報道され始めていた時期に、ナヌムの家という象徴的な場所を訪れることになった。帰国すると日増しに責任逃れの方向に筋の通らない議論を展開していく首相、判断材料を十分に提示しないまま「そのような事実はない」と一般認識に定着させようとする議員や著名人の発言が目立つようになり、非常に歯がゆい思いをしている。彼ら彼女らは今まさに現在形で「慰安婦」とされた当事者たちの尊厳を踏みにじっていることを自覚しなければならない。今、暴力をふるっていることになるのだ。

理解可能で共有可能なわかりやすいものだけが物質的に参照されるのみでは、歴史とは強者の歴史であり、想像を絶する体験を強いられた人の叫びを聞き取ろうとしない、矛盾や歪みを一切排除した、合理主義者のナルシシズムになってしまうだろう。強者が都合の悪い証拠の一切合財を丁寧に残しておくはずがないのだ。一部残っている資料さえも意図的に排除して解釈し、圧倒的な権力を持つ立場を利用することで世間に誤った認識を浸透させようとすることなど、本来あってはならないだろう。

一人の人がこの凄まじい出来事を語ることには、その人独自の生活があり人生があり、それが破壊され、歪められながら生きていかざるを得ないという、固有の、現在形の特徴がある。証言を聴くことは、それを聴く自分がその語りに直面しているということ、応答を迫られるという切迫した事態に身を置くことなのではないか。これは、語る者にとって、フェアではないことだと思う。証言を聴いた者が次の行動へと移るまでには、絶対的な時差があるから。しかも早急な、効果的なアプローチを保証するものは何もない。証言をすることは、気の遠くなるような、かすかな可能性に託す呼びかけなのかもしれない。自分はその落差の構造に完全に組み込まれている。自分の中だけで終わらせないために、思いを伝え、こういった惨事が二度と起こらないようにするにはどうすればよいか考えていかなければならない。

起こってしまったことをなかったことにはできないという事実に無力さを痛感させられながらも、できることを考えていくべき立場として自分が生かされていることが、まさに実感される体験だった。「日本人の学生は特にしっかり聞いて記録し確認するように」とイ・オクソンさんは始めに力を込めて言われた。少しでも多くの人がこの問題を真摯に考えることができるよう、身近なところから思いを伝えていきたいと思う。

           (二〇〇七年三月)

 

 

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