「慰安婦」問題を考える時に日本の公娼制について考えざるを得ず、公娼制を含めた性の国家支配を考える時に「婚外子」問題を考えざるをえず、当事者であり本人訴訟で裁判を闘っている土橋博子さんを福岡にお招きして六月二○日に学習会を持ちました。時間切れで前段階で終わってしまいましたが、実に刺激的な学習会でした。 土橋さんの裁判の内容は、「婚外子」差別に謝罪と賠償を求める裁判を支援する会のホームページhttp://hansabetsu.blog7.fc2.com/をご覧下さい。「婚外子」差別と闘う土橋博子さんの学習会に参加して 安部妙子《女性運動にみる「婚外子」差別》という内容での公開学集会でしたが、三時間に及ぶ長時間の学習内容は、ニュースレターの為にどのように整理して報告すればよいのか、皆目見当がつかないくらいの衝撃的な内容でしたので、学習内容に沿ってレポートを書くというにはあまりにも個人的な感覚でしか報告できないような気がしますので、ここでは私がその学習会に参加して自分自身の中でどう感じたかのスタンスに立っての表現で、あくまでも個人的な感想を述べてみたいと思います。
さて、結論から先にいうと、とても重い荷物をドーンと手渡されたような、そんな感覚が身体に残った学習会でした。 私の知る土橋さんの印象は、“そのものにズバリと迫る勢いを感じる”人でしたから、元々講義内容には深い関心を持っていて、この日をとても心待ちにしていましたが、一方で、 【何故、日本軍「慰安婦」問題をいまだ「解決」できないのか、「婚外子」を「家」から排除し、法的差別を正当化する日本社会の人権意識と女性運動にその原因をさぐる「公開学集会」】という副タイトルは、学ぶ以前からなんとなく気持ちが竦みそうになるものでした。
この日の学習内容は、婚外子差別が今に至る法的差別の現実と、その批判。更にその差別は家制度の中での本妻の地位を守るために、「妻側」から発せられた人間差別であった!という事実だったのでした。
ジェンダー思想のありかたそのものを揺るがすこの事実は、女性が女性を差別する何ものでもないことに仰け反り怒る思いでした。
明治後半から大正にかけて、女性を層化するために良妻賢母教育がされていく過程で、昭和初期の婚外子論争へと発展し、女性同士があえてつながらない様にしてしまった、当時「良妻賢母」といわれた女性達の差別の「仕掛け」だったのか、と、わたし的に結論を持っていきました。おそらく聞いていた人たちの大半もこのような結論に至ったのではないかと思います。
学習会で伝わる土橋さんの言葉には、講師の存在を超えて、一人の被害者として、聴く側に容赦なしに迫ってくる「怒り」がありました。差別を受ける側にしかわからない屈辱や悔しさ、聞いている私達が「そうだったのか…」と、いくらその場で納得した気持ちになっていても、何気ない私達の日常行動の中に「内在化した差別」が潜んでいる事をあらためて知らされたのでした。そしてそれは敗戦直後の「良妻賢母」といわれる女性達の仕掛けた決定的な「自己都合」に基づいた「発信」だったのだということも。
「家督相続」や「家制度」が廃止され,日本国憲法が発布される時に婚外子差別をなくすことができたのに、当時指導的な女性たちはしなかった。結果的に日本の女性の社会的地位は現在に至るも向上する事は難しく、国際社会に大きく取り残されてしまったと思います。それは明らかに日本の女性たちの恥辱といえるでしょう。
さて、学習会はここの部分で時間切れになってしまいました。それでも三時間という長きにわたった土橋さんの学習会はまだまだ聞き足りず、結論に辿り着けない消化不良のまま、私達に色んなことを教えてくれました。 聴く側にとっては共感を超えすぎて自分自身が責められているような、ある意味大変辛い、そんな思いになった参加者も居たかもしれません。
質問と意見が混じり合ったような討論を見ることになった後半学習でしたが、それなりに活発な意見交換で、重い内容ではありましたが、婚外子自身と婚外子の親自身の向かい合う気持ちと立場…
聞いていて、私には「人として生きる姿勢」に、大変得るものがありました。願うことができるなら、この続きも機会があったら学習したいです。私達は意見を出し合えるようになるためにはもっと学ばないといけないなぁと痛感した学習会でした。