関釜裁判ニュース第51号

第二次不二越訴訟 第10回口頭弁論傍聴と広島での交流会報告   土井(関釜裁判を支える広島連絡会)

 多くの戦後補償裁判の原告が高齢で亡くなられていくなかで次々に敗訴になり、本当に日本人の人間としての誠意が問われる事柄なのに最近では朝鮮民主主義人民共和国による拉致とミサイル実験ばかりが声高に論じられて、日本が犯した侵略や植民地支配、強制連行や奴隷労働、軍隊慰安婦問題などに対する責任追及はまた後ろへ追いやられています。せめても私たちは忘れません、という思いを少しでも伝えることを願って、今回原告本人尋問で来日される金JOさんと羅FAさんを広島にお迎えするために、富山へ向かいました。

 4月19日午前4時32分という早朝にもかかわらず、北陸連絡会の新谷さんが富山駅まで出迎えてくださいました。事務局のNさんの家でひと休みさせていただいた後、法廷に向かいました。今回証言台に立たれる金さんと羅さんは17日に来日して弁護士との綿密な打ち合わせなどをしてこの第10回口頭弁論に出られました。お二人とも緊張で食事がのどを通らない、ということで支援者の方々は心配そうでした。

 法廷では金さんも羅さんも尋問に対してはっきり発言されました。「姉に会える」とだまされたり、両親に反対されて断ろうとすると「代わりに父を連れていくぞ」とおどされたりして不二越へ連行された実態が明らかにされました。被告不二越の代理人の反対尋問は「挺身隊として国を守る、家族を守るという思いで一生懸命働いた事が、韓国国内で正しく評価されなかったのか。日本の企業で働いていた事が理由で、非難されたことはないか」というもので、日本の戦争遂行のために家族と引き裂かれ強制連行・強制労働をさせた事実を認めず、原告の被害はあくまでも韓国社会の責任であるかのような混乱を起こさせるものでした。

 夜の報告集会の後原告をホテルに送り、またNさんの家に1泊、翌朝富山駅9時15分発で広島に向かいました。広島では2年前と同じアステールプラザの研修室でKさんの通訳でお二人の証言を伺い、その後食堂に移動して交流会を開きました。羅さんは疲労で頭痛がするようでしたが、それでも休憩を取らずに話されました。13人の参加があり、Fさんが中心になって用意してくださった食事に舌鼓をうちました。会場が9時閉館なので、その後はお二人の宿泊室にお邪魔して、旧交を温めました。

 翌日はIさんが広島駅までの送りを引き受けてくださり、無事福岡へお送りすることができました。

 弁護団の熱心な取り組みと支援の北陸連絡会の方々の努力により、裁判の中身は濃くなっています。7月26日に予定されている第11回口頭弁論で学者証人が採用され、裁判所がその歴史的責任をきちんと果たされることを願っています。  

 

関釜裁判ニュース 第51号 目次