《速報!》不二越第二次訴訟 第十一回口頭弁論 花房恵美子
学者証人の採用を求める署名を提出
今回来日された原告は七人です。柳CHさん、李BOさん、李JAさん、安HIさん、全OKさん、羅CHさん、金MYさん((二〇〇四年に亡くなった林永淑さんの夫)。付き添いは昨年の福岡での同時証言集会に黄錦周ハルモニに付き添ってきてもらったミンさん。計八人の原告団でした。二十五日、三名の学者証人(山田昭次氏、太田修氏、五十嵐正博氏)の採用を求める署名二千三百五十一筆を富山地方裁判所に提出しました。(一ヶ月という短期間に集められました)。私は富山空港から裁判所に直行し、県庁で記者会見して、署名提出のために移動してきた原告団・支援者と合流しました。
第十一回口頭弁論
二十六日、李JAさんと全OKさんの本人尋問。弁護士との丁寧な打ち合わせの積み重ねを感じさせる問答でした。具体的で詳細な被害実態が浮き彫りになりました。李JAさんのお父さんが校長に志願の取り消しに直談判に行ったがのに、「頭数がそろったので取り消すことができない」と言われ、泣く泣く娘を見送ったことや、親戚が面会に来ても事務室での監視付きだったことなど、「志願」とはいえ実質的な強制連行であることが明らかになりました。ほぼ満席の傍聴席、そして、仲間がたくさん後ろから応援していることが、証言台に立つ原告を力付けていました。さらにハルモニたちの傍にはいつも張点順さんの遺影がありました。
強制連行の全体像、国際法の観点から国内法の時効不成立の問題、日韓請求権協定の成立過程における個人補償抑圧の問題について、上記証人採用を求めていましたが、今回は採否が決まらず、次回へ持ち越しとなりました。次回九月二十日に決まります。。次々回の口頭弁論は十二月二十日に決定しました。
不二越構内にチャンゴ、ケンガリのリズムとハルモニたちの歌声が響く!!
翌日二十七日早朝七時二十分から、、雨の中を、正門前で社員に向けてチラシ配布、マイクでの呼びかけをしました。原告六人(李JAさんは急用のため前日帰国)付き添いのミンさん、留学生、支援者などあわせて総勢十七人の行動でした。正門は八千万円かけて今年の春に「立派」に造り変えられていて、それだけのお金を「節税」のために使うのなら、なぜ朝鮮人女子勤労挺身隊の方たちへの補償に使わないのかと怒りを覚えました。
八時、不二越社内の「第二次大戦下勤労の碑」(写真)への献花のためと井村社長への申し入れ書を渡すために、正門から不二越構内に百メートル近く入った総合案内所に向かいました。
新築ビルの一階に新設された案内所に向かって歩きながら、柳CHさんは「会社の中に入れて嬉しい」と笑っておられました。
献花を終え、申し入れ書を手渡そうとしましたが受け取ってもらえず、案内所に投げ入れても戻され、「受け取れ!」「受け取れない!」の押し問答の中で、原告たちは「座り込みをする」と宣言しました。
支援者は予期しなかった展開だけれど、原告たちの闘う姿勢を優先・支持し、チャンゴ、ケンガリ、マイク、ビニールシート等を車から持ってきました。羅CHさんがチャンゴをたたき、安HIさんがケンガリをたたき、李BOさんと柳CHさんが「社歌」「挺身隊の歌」を歌う。対応していた総務課課長・T氏は理性を失って怒鳴って、あわやぶつかりあうほど興奮していました。
「社内での抗議行動は今までなかった。門の外ならいいが、ここは私有地だから出て行ってくれ!係争中の件に関する申し入れ書は受け取れない!」「あなたたちの先輩ですよ」と、ハルモニたちは足やら背中やら痛くてサロンパスを張っているところを競って見せていました。
北陸連絡会のメンバーは長期戦を覚悟して毛布、座布団を取ってきました。ハルモニたちはすこぶる元気です。
T氏は何度も東京本社と電話連絡をして、「受け取れない」という頑なな回答はかわらなかったけれど、対応に困っていることはありありでした。
早朝行動からすでに四時間を越え、その間何度か方針会議を持ちましたが、お昼時間になったことから、ハルモニたちは支援者の判断に任せるとのことで、正門前に移動して派手に抗議行動を行うことになりました。
横断幕を広げ、チャンゴ、ケンガリをたたき、李BOさんと柳CHさん、金MYさんがマイクを持ち不二越の「社歌」、挺身隊の歌、アリラン、トラジ等の歌を歌い、社員に理解と支援を訴えます。李BOさんのリーダーシップのもと原告たちは意気軒昂でした。今回はハルモニたちが自分たちで決めて、ごぼう抜き排除覚悟で闘いました。原告たちのこのままでは裁判で勝てないかもしれないという焦燥感が、今回のたくさんの原告来日となり、直接行動となりました。このハルモニたちの自発的な生き生きとした闘いを実現させた北陸連絡会の方たちの献身的な支援に深く感謝します。
柳CHさんは私と一緒に福岡に帰ってきて、福岡の支援者と交流して、二十八日釜山に帰られました。他の原告たちは二十八日小松空港より帰国されました。
裁判官たちは年度内判決(来春)を目指しているようですが、学者証人を採用させ、裁判所外での直接行動も実現し、日本国と不二越を追い詰めるためには多数の原告の来日は不可欠と実感しました。
支援の側の財政が厳しい状況です。ここは踏ん張り所と思っています。たびたび申し訳ないことですが、不二越闘争支援カンパをよろしくお願いいたします。