関釜裁判ニュース第50号

不二越第二次訴訟と、遺骨返還への取り組み  花房俊雄 

 

◆ソウルにて本人尋問の打ち合わせ

2006年3月5日にソウルで開かれた、不二越第二次訴訟の本人尋問の打ち合わせに支援する会のスタッフとして訪韓した。朝から韓国教会百周年記念会館に、原告5人、弁護士7人、通訳6人、スタッフ6人、合計24人が集まり、4組に分かれて本人尋問の打ち合わせが始まった。

4月18日に開かれる口頭弁論には、金Jyoさんと羅Faさんが出廷される。お二人の特徴は、つらい女子挺身隊の生活から解放されて帰郷し、結婚して子供もでき幸せな生活を送っていたが、夫が女子挺身隊として日本に行ったことを知って「慰安婦」であったと誤解してしまった不幸にある。

結婚後9年目に夫に知られた金さんは「汚い女」といわれて殴られるようになった。夫はべつの女性をつくり、喧嘩が絶えなくなり、彼女が35歳のときに3人の子供をつれて離婚を決意する。以後おもちを売る行商などどん底の生活をしながら子供を育ててきた。負けず嫌いの彼女の顔にはやり場のない憤怒が刻み込まれている。

羅さんは夫に女子挺身隊として日本に行ったことを知られ,「みだらな女」と言われ暴力と蔑視の中での生活が始まった。ある時から,夫は別の女性と生活をするようになった。それでも離婚してくれず「自由にはしてくれません。」と語っている。同居する息子や息子の嫁も彼女を蔑視し「居場所のない」苦痛が優しい彼女の顔に刻み込まれている。

勝気な金さんとおとなしい羅さんは仲が良く、同じ不運な境遇を労わりあいながら連絡を取り合っている。夕方6時過ぎに、打ち合わせを終えた二人は鐘路五街の地下鉄の階段を、見送る私達スタッフに別れを惜しみ何度も振り返りながら降りていかれた。

 

◆朴小得さんを訪問

翌朝、韓国で「慰安婦」問題の研究に取組んでいるSさんと共にソウル郊外に住む朴Soさんの家を訪問した。夫と共に朴さんが実に嬉しそうに迎えてくれた。食事をしてきたかとしきりに心配し、息子の嫁が出がけに作っていったSoさん夫妻の昼食を電気調理器で暖めて出してくれた。Soさんの認知症が進みガスコンロを日中は使えないようになっている。おいしくいただく私のそばでSOさんは「生きているとこうして会えるからうれしいねえ」とニコニコしている。裁判のことはあまり聞かれない。以前は人一倍の執着を持って裁判の進み具合を気にしていたSoさんであった。その彼女が裁判への関心の範囲や深さを急速に狭めてきていることに悲哀を禁じえない。1998年下関での勝訴が韓国で大きくマスコミに取り上げられ、朴さんの顔も「慰安婦」原告たちと共に報じられたとき、彼女の家族はパニックに陥った。親戚や教会、孫達の通う学校で朴小得さんが「慰安婦」と同一視され、家族はこぞって朴さんに「恥ずかしいから裁判はやめてくれ」と迫り、激しい怒りで反論した小得さんはそのとき軽い脳梗塞に襲われた。現在進行している彼女の認知症はそのときの後遺症ではないかと私は思っている。

 原告たちが住む韓国社会においてなお「慰安婦」差別は強く、女子挺身隊との混同はかくも根深い。来る4月18日、金さん、羅さんのお二人が戦前・戦後に味わってきた苦労を裁判官と支援者の前で証言し、恨が少しでも解け、尊厳を回復される過程を見守りたいと思う。

 

◆韓国政府による保障措置

一方3月8日、韓国政府による韓日会談文書公開後の強制動員被害者支援対策案が報じられた。1965年日韓協定で「強制動員被害者への個人補償は韓国政府が行う」と記された内容に沿って検討されている補償措置で、その内容は、

(1)強制動員中の死亡者、重傷者に2000万ウォン(250万円)、軽傷者には1000万ウォンを支給する。

(2) 未払い賃金に関しては、当時1円当たり1200ウォンに換算して支給する。(女子勤労挺身隊の場合、100円の未払い賃金があるとすれば、120,000ウォン=1500円にしかならない。)

(3) 医療費の一部(年50万ウォンを限度)を支給する。

というものである。死者、負傷者以外の強制動員された被害者への被害補償がないこと、未払い賃金の現在の貨幣価値へのスライドがあまりに低すぎることなど、今後被害者からの相当激しい反発が予想される。

いずれにしても、日韓協定で双方の国が放棄した各国民の「財産・利益」としての未払い賃金の補償を裁判所が認めるのは極めて厳しい見通しである。しかしだまされて夜な夜な空襲警報が鳴る地に動員され、強制労働を強いられた未成年の少女達が受けた精神的傷への賠償は裁判で決着がつけられねばならない。 裁判はクライマックスの本人尋問を終えて、来春にも判決を迎えることになる。支援者のみなさまの変わらぬ支援を改めて訴えます。

 

◆遺骨問題に関して

日韓両国で進められている強制動員被害者の遺骨調査と返還の事業に民間で協力するため強制動員真相究明福岡県ネットワークをたちあげたことは前回のニュースでお知らせした。この間、福岡県に要請して、本籍地や死亡原因が記されている埋葬火葬認可証の再調査を福岡県下八二自治体(福岡市と北九州市の政令指定都市は除く)でしていただき、そのうち九市で火葬許可書の存在と二市で戸籍受付帳(戸籍の異動〜死亡等に関する「受附帳」)の存在が確認された。飯塚市、山田市、穂波町、庄内町、頴田町と次々と情報公開がなされている。少ない情報の中で、三菱飯塚炭鉱の一九四四年の二度にわたるガス炭塵爆発事故、一九四五年日炭上山炭鉱のガス爆発事故等で朝鮮人死者が数十人単位でズラズラと記されている。戦局が押し迫った一九四四、四五年に死者が激発しているのが伺える。

しかしこのような資料を保存していた自治体はあまりに少なく、又出てきた資料のうち半数は一九四五年以降しかなく、戦時中の資料が処分されている。ある自治体の担当者は「進駐軍の追及を恐れて焼却処分したと思われます」と語られた。企業と行政が一体となって強制労働の被害者の隠蔽に走ったことが伺える。

 望郷の丘の共同墓地に安置されている五百体近い無縁仏と、今後お寺での調査で所在が確認されていくであろう遺骨を一体でも多く遺族の元に返し「いつ、どこでどのような事情で亡くなったのか」をお伝えしなければならない。そのためにも本籍地・死亡情報を記された資料の発掘にあらゆる手立てを尽くしていきたい。

 

 

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