関釜裁判ニュース第50号

「私は、とことん生きるだろう。」

2006年3月1日 

太平洋戦争犠牲者光州遺族会 会長 李 金珠(イ・グムジュ)

 

1910年に韓日間に結ばれた乙巳(ウルサ)条約には、「保護」という2字がついている。この保護という言葉を打ち立てて朝鮮の地を踏んだ日本は、果たして朝鮮に何をしたのか。朝鮮を植民地に転落させ、朝鮮人の言葉と名前を奪い、皇民化教育で民族抹殺を図ったのだ。

朝鮮人を強制的に引っぱっていき、自分たちの戦争で奴隷として働かせ、殺傷した。世界で最低の奴隷が中国であり、その上が朝鮮だと言われた。天皇のためには進んで命まで捧げろと説いた。朝鮮を戦場に、戦争の踏み台にしようとした日本の論理は、不平等、不条理、不合理の域を越えたものだった。天皇のために、自国の利益のために、万物は単なる戦争の道具に過ぎなかった。

私が最も悲しいことは、アジアを苦痛の絶叫で満たす戦争の地獄に追いやった日本が、戦後世紀が移っても何の変化も、反省もないことだ。過去に対する反省もなく、日本が軍国主義の復活をあらわにしているということだ。

私は、日本が一抹の良心を持って動くことを望んだ。そして、私の夫の命を奪った日本の法廷に立ち、私と私の夫と同胞に人間としてなしえないことをなした日本人の良心に訴え、謝罪し補償することを力説した。しかし私は、ひとえに棄却を判決する司法の声を聞くだけだった。「韓日協定で、全て終わっている」という世紀を越えて変わりのない不平等で不条理、不合理な棄却の声を、14回聞いたのだ。

日本は、自らの戦争責任を反省し、謝罪し、適切な賠償をすることを要求する私たち戦争被害者に、眉一つ動かさずにいる。恥ずかしげもなく、むしろ日本は、国連安保理の常任理事国の夢を抱いている。露日戦争と清日戦争、太平洋戦争でアジア諸国の人びとの生存を脅かし、人権を踏みにじり、21世紀が過ぎた今でも変化を見せない日本の最も利己的な本意だ。これが、まさしく「世界に冠たる強大国で、良心の国で、正義の国」としての日本の姿だ。

私は、23歳で夫を失い、今年87歳になった。そうだ。私は老いた。しかし、私は決して死ねないのだ。私が夫の戦死通知を受けて生きてきた理由が、私を、日本が謝罪し賠償する時までとことん生きさせるのだ。私は、日本の法廷で挫折したが、再び立ちあがるだろう。天皇の「為に」ではなく、天皇に「因って」死んでいった多くの犠牲者や夫のような無念の朝鮮人被徴用者たち、一生を戦争が残した疼く傷跡のために苦痛に身悶えしなければならかった遺族たち、徴用の後遺症で怨魂に昇華していった生還者たち、そして、18年の間に何度も法廷に立ち、14回も反復し聞かされた心痛める棄却の声に多くの挫折の血涙を流さざるをえなかった原告たち、この人たちが、私が死ねない理由だ。死んでも死にきれない理由だ。

世の全ての人たちが、全ての国が平和のうちに共存することが、どんなに貴重なことかを知っている良心人たちが、今までのように今後も助けてくれるだろう。日本の過去の清算が歴史に及ぼす影響を、世界史に及ぼす波及効果を世の若者たちが、私が死んでも、生きられるようにしてくれるだろう。彼らが、今まで正義のために、平和のために苦労を惜しまなかったように、今後も日本で韓日協定文書を公開し、日本をして彼らの侵略戦争でいかに多くの人たちが苦痛を被ったかを認めさせ、バトンを引き継いで問題解決をしていくだろうからだ。これがまさしく、日本が再び同じ過ちを起こさないように決定づける重要な鍵だからだ。

最後に、一言付け加えます。私の夫は、決して日本の天皇のために進んで命を捧げたのではありません。私の夫は、決して人間を尊重しない者のために死んだのではありません。敢えて言います。「私の夫に、このような汚名をきせるな。」

 

 

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