関釜裁判ニュース第49号

強い志で、戦後責任への取り組みを!  花房俊雄 

 自民党分裂の衆議院選挙を前にして、野党の躍進で、あわよくば政権交代で戦後補償や在日の障害者・高齢者の無年金問題解決の課題が前進するのを期待しましたが、自民党の圧勝に終わり、戦後六〇年の夏の終わりは無残な結果になりました。

 戦後補償の立法解決や遺骨の調査・返還に積極的に取組んでこられた石毛瑛子さん、藤田一枝さん、楢崎欣弥さん、小林千代美さんらの議員が落選したことは本当に残念でなりません。

 自民党政権による、経済のグローバル化(企業体の内外における弱肉強食の激化をもたらす新自由主義政策)と国家の軍事化が一層推進されていく政治状況になりました。立法解決の道は険しく、被害者や被害国との和解への道はより厳しくなりました。

しかし、わたしたちは決してあきらめることなく、平和と人権を共有する北東アジアの建設に向けて歩みを始めた隣国・韓国の民主化運動の勢力と連帯し、戦後責任への取り組みに力を注いでいきたいと思います。国内政治の現状に身をおくとき、深い閉塞感にとらわれがちですが、日本を取巻く国際政治の流れを見据えるとき、私達の歩みこそが日本社会の未来を切り開くものであることを確信しています。

 

 ◆ 本人尋問に入る不二越訴訟

企業と国を相手取った第二次不二越訴訟は十一月二日の第八回口頭弁論より本人尋問に入ります。八人の原告が二人づつ出廷し計四回の口頭弁論が開かれます。第一回は李BOkさんと羅CANさん、十二月二一日の第九回口頭弁論では崔HIさんと安KIさんが証言することになっています。金JONさんと羅FAさんの本人尋問は来年になる予定です。

弁護団は原告たち一人一人の被害の実証を大変重視しています。一回の本人尋問に向けて、弁護士が訪韓しての聞き取り調査、原告に来日してもらっての中間打ち合わせ、そして裁判での本人尋問と計三回日本と韓国を往来します。四回の裁判で合計十二回往来します。北陸の支援者たちは弁護士と同行して韓国に行ったとき、または原告が来日したとき、通訳の依頼、打ち合わせ会場や宿の手配、原告への付き添い等に精力的に取組んでいます。

私達、関釜裁判を支援する会も、費用の分担、裁判への傍聴、訪韓して聞き取り調査への協力等に取組んで行きたいと思います。皆様方の変わらぬご支援をお願いいたします。

 

 

 ◆ 強制動員真相究明ネットワークが設立

韓国で取組まれている強制動員真相究明と遺骨の調査・返還に日本で協力するため、七月一八日東京で、学者や研究者、戦後補償運動に取組んできた市民メンバーら一五〇名が参加して「強制動員真相究明ネットワーク」が設立されました。その下部組織として九月二四日、「強制動員真相究明福岡県ネットワーク」を設立しました。三〇年来強制連行被害者の調査に当たってきた金光烈さん、武松輝男さん、一九八六年から六次に渡り同胞の遺骨を韓国の望郷の丘に返還・慰霊してきた在日本大韓民国民団福岡県本部の人たちと日韓の友好を願う市民たちが参加しています。

九月二八日、企業と地方自治体における朝鮮人遺骨の調査結果が外務省より発表され、五社の企業と一団体から一四七人分、全国の自治体から七二一人分の遺骨情報が寄せられたとのことです。早速、福岡県ネットワークは福岡市と福岡県を訪ね調査結果を担当者からお聴きしました。

福岡市では情報はゼロ、福岡県では、飯塚市の無窮花堂の約八〇体と小竹町の松岩菩提にある七体の遺骨情報が寄せられたとのことでした。これまで民間で調査してきた以上の新情報はありませんでした。地方自治体に存在している可能性のある、遺族が一番知りたい「いつ、どこで、なぜ亡くなったのか」という死亡情報が載っている埋葬・火葬認可書の情報提供は皆無でした。調査された形跡もありませんでした。その重要性を説明し、再調査を申し入れてきました。 

一方、遺骨と死亡情報(過去帳)が最も多い寺院での調査はいまだ始まっていません。六月末に政府より出された宗教界への依頼では、各宗派の機関紙やホームページで遺骨情報の提供を呼びかけ、遺骨があるお寺は直接に厚生省にファックスで情報を寄せるように呼びかけています。仏教会では、植民地支配と侵略戦争に加担した過去の罪責を問い、平和を重視してきた過程から今回の遺骨の情報提供、返還への取り組みを重視し、政府の安易な依頼に対しては戸惑いと怒りがあり、慎重な検討がなされています。

福岡県ネットワークは県下の各宗派の教務所を訪れ、徹底的な遺骨と死亡情報の提供ができるよう悉皆調査を申し入れています。戦中・戦後、朝鮮人の遺骨を預かったお寺の住職さんは子供や孫に代替わりし、遺骨の預かり情報が継承されているかも不安です。また過去帳の調査をしっかりしていただくためにも、福岡県ネットワークでお寺巡りをしていきます。

一方、韓国で強制動員被害者の申告が二〇万三千余名に達しましたが、その七割は被害証明ができない状態です。韓国政府は強制動員被害者の証明資料として、厚生年金名簿や供託金名簿の提出を日本政府に促していますが、反応は鈍いようです。申告の被害が証明できないと韓国政府による被害者への補償措置に漏れるため、申告者の間に不安が広がっています。

政府に資料の提出を促すと共に、韓国の市民団体と協力して被害申告の証明(申告者からの依頼を受けて社会保険事務所に厚生年金名簿の情報公開をもとめる)などに取組んでいきます。

 

「日韓協定により、法的責任は解決済み」として、被害者たちの戦後補償を拒絶してきた日本国も、遺骨の調査・返還までも無視することはできませんでした。しかし戦後六〇年が経過し、遺骨の返還や生死の確認をもっとも望んでいた親や兄弟、妻達の多くがすでに亡なり、あまりにも遅い取り組みになってしまいました。戦時下の強制動員の政策を推し進めた国が、「責任は企業にある」として遺骨の返還すら無責任にも放置してきたことへの怒りと共に、それを許してきた私達市民の責任もまた痛感します。「最低限の戦後責任すら放置してきた」これが今の私の実感です。

福岡県は筑豊の炭鉱地帯を抱え、戦時下の強制動員がもっとも多く、一七万一千人と県の書類に記されています。そして二千人近い人が亡くなったと推測されています。何百軒もの筑豊のお寺を中心に三〇年間以上にわたって調査・研究をされてきた金光烈さん、大牟田の三井三池炭鉱の社員でありながら自社の朝鮮人・中国人・連合国捕虜の被害の実態を調査・研究されてきた武松輝男さんら先達と共に福岡県ネットワークの活動を行っていきます。その過程と結果が日韓の歴史認識の共有を広げていく機会になることを願っています。


関釜裁判ニュース 第49号 目次