戦時である今、証言を聞く事 平尾 弘子戦後六十年を経ても、個人の記憶のなかに深く沈潜し、たぐり寄せられることのないまま埋没していく戦争の光景が、無数に遺されてある。私は、二年余りの間、このような記憶の光景を拾い上げるべく、『関釜裁判を支援する会』の事務局のメンバーと共に幾多の人々を訪ね歩いてきた。それらの証言は、文章として残すことができたものもあるし、記憶や状況が曖昧なまま、記録に留めることができない場合も多々あった。
その行程の中で、高齢の方が語る戦争の証言の常として、過去と現在が交錯し、時の感覚が入り乱れるため、いったい自分がいつの時代にいるのか、一瞬、不明になることがある。惑乱は、ひとり、話者のものではなく、聞き手である者までもその時間に引き込まれていく。証言をしてくれた方の多くが、昨日の記憶より六十年前の戦争の記憶の方が鮮明に残っていると一様に語っておられた。証言者の語る空間には、まさに「昨日の戦争の世界」が現出していく。
国家が巧妙に光を当てようとする歴史の背面には、表裏をなすように人の眼がとらえ、眼底に焼きつけられていながら、長い年月を経てもなお、語ろうとして語ることのできなかった光景が遺されている。
戦争の記憶の聞き書きを行なってきた二年間、同時進行で日本は、戦後初めて戦闘地であるイラクに自国の軍隊を派兵する道を進んでいった。個人の記憶のなかの不可視の戦争の光景を訪ね歩くことは、平穏な日常が連なりながらも軍隊が戦地に派兵されているという戦時である今を沈思することになる。
国家は、ごく一部の例外を除き、概ね個人の慟哭や哀しみを無に帰したり、変容させる方向に動いていく。今の日本は、マスメディアも動員し、極めて巧妙な手口でそれが、いつの時代にも増して顕著に進行している。
記憶の揺り戻し、そして、証言者と向きあい、話を聞き、その表情や言葉にならない沈黙を自らの眼や耳で記憶に留めることは、今こそ求められているのではないだろうか。