関釜裁判ニュース第49号

韓国訪問記  花房恵美子 

 

八月二十一日に、前日からの雨の影響で急に涼しくなった福岡からTさんと連れ合いと計三人で韓国・釜山へ行き、二十五日まで光州・ソウルと韓国訪問してきました。釜山でSさんと合流し、彼女には三日間付き合って頂いて大変楽しくて、助かりました。

釜山では九二年に関釜裁判が始まってから一年余り原告たちに通訳として付き添ってきてもらった朴Hさんのお宅に泊めていただきました。言語ばかりでなく料理の達人でもある彼女の手料理(豆乳の冷麦、じゃがいものチヂミ、干しダラのお汁、古漬けキムチ等々)を楽しんで食べました。彼女はその数週間前転んでくるぶしにひびが入り、ギブスをはめていて、再会した時驚愕。心配させないために知らせなかったそうです。

空港から一緒にヘレナさんの家に行った朴JUNさんと柳SANさんとは一緒に泊まるつもりにしていましたが、怒涛のようなHさんの語り口と、ホスト役の彼女が歩くのもやっとなので遠慮して夕方お帰りになり、ゆっくり話せなくて残念でした。

朴JUNさんは二〇〇三年秋に富山と福岡に来られた時と比べて痩せておられました。今年4月に胃の手術(胃癌の初期だったそうです)をして、ご本人によれば「これでも食べられるようになってだいぶ良くなった」とのことです。家は病院から遠いので、現在は「老人の憩いの家」の一室を無料で借りて一人で住んで、大学病院の精神科と神経科に通院しているそうで、内科は薬だけもらっているとのことでした。直前に彼女から来た手紙を紹介します(七月七日付け。原文のままです)。

 お元気ですね。ほんとうにありがとうございます。ようやく命は助けました。
 皆様たちに申しわけありませんでした。こんどは死ぬと思って居たんです。晩に病院に行ってリンケルを何かいも。毎日。人も目に見えなくなってみんなが死ぬといったのに。病院の近いところにへやを一人で出て来て 命はようやく助けました。
 今 ごはんもたべるし 話も できるし みんなが見て わたしのかほじゃないといいましたが、今は多くよくなっています。子供たちにもすまないし皆様たちにもすまない話はどうしたらいいかわからなくすまないです。
朴SOさんからでんわがかけてきたのに なんの話かわかりません。
字がよくないのできっとあうのをたのしみにまっています。大学病院にあした行きます。では皆様たちに安否伝えて下さい。

 

柳賛伊さんは相変わらずお元気ですが、同じ姿勢を続ける事が辛いらしく、少しずつ歩いている方がいいそうです。背中のゆがみも前よりはひどくなっているような気がしましたし、痩せられました。「ジュンイチはどうしている!」。(三輪君のことです)いつも感じるのですが、SANさんの傍にいると、さわやかな風が吹き抜けるようで、楽しく優しくなれる気がします。

二十二日は高速バスで光州へ。タクシーで太平洋戦争犠牲者光州遺族会の会長・李金珠(イ・クムジュ)さんのお宅へ。木浦の成SUNさんにはこちらの時間の都合で光州に来てもらったたのですが、体の具合が悪いらしく殆ど食欲がなく、お腹が痛いとずっとお腹をさすっておられ、申し訳なく思いました。彼女の裁判にかける思いは強く、本人尋問できないことを悔しがり、「私が行かないでどうするのか」と、日本に行って話したいと訴えておられました。

梁錦徳(ヤン・クムドク)さんは次男が癌の手術(胆道と直腸)をして、五十万円の借金をしたそうで、疲れがどっと出たそうです。彼女のパワフルさは相変わらずで、度重なる苦難に立ち向かっておられました。名古屋・三菱訴訟の地裁判決での敗訴の話になると皆悔しくて盛りあがりました。李金珠さんは結審の時の錦徳さんの韓国式「最敬礼」が不満で、「年下の裁判官にあんな事をして私は気持ちが良くなかった」と批判されていました。錦徳さんは裁判官の心が動くようにと思って跪いた、と説明しておられました。

今回は福岡で取り組んでいる壱岐朝鮮人遺骨問題(終戦直後、朝鮮への帰国途中台風に会い壱岐で遭難。遺骨が壱岐と埼玉県の金乗院にある、乗船者の出身地は全羅南北道、慶尚南道)について、遭難の真相を知るべく地元のマスコミを通じて三十三人と言われている生存者の名乗り出を促す目的がありました。二十三日は金珠さんのご尽力でソウル行きKTX乗車時間ぎりぎりまで約三時間記者会見しました。オーマイニュースほか五社、七人の記者が熱心に聞いてくれました。翌日にはオーマイニュースをみたKBSのディレクターから連絡があり、二十五日に取材となりました。

ソウルに着いて羅FAさん金JONさん支援者の姜さんと合流しました。朴SOさんはここまでは出て来られなくなるほど、認知症が進んでおられました。

羅FAさんはソウル近郊の農家で、果物や野菜やバラの花などをつくっていて、経済的には苦しくないそうですが、家族との関係が厳しく、夫に今も暴力をふるわれていて、彼女に電話があってもあったことを知らせてもらえないそうです。

彼女の夢は一人で暮らす事なのです。彼女の優しさは言葉にできないほどで、彼女のうちに秘めた情熱や能力が挺身隊に行った事で開花できていないことを残念に思うと同時に、不二越の裁判の過程で封印が解けたら素晴らしいなと思っています。

金JONさんは膝が悪いそうで、階段の上り下りはつらそうでした。「日本は腰を低くする姿勢を見せればいいものを。不二越もお茶の一杯もいれてくれればいいものを・・」「自分が死んだあとでもらっても何にもならない」と、日本政府と不二越の態度が彼女たち被害者の心を癒すようなことをしていないことに怒っておられました。彼女の本人尋問の時には名古屋三菱の原告であるお姉さんも富山に来て傍聴したいそうです。

二十四日はSさんが合宿があるので三人で朴頭理(パク・トゥリ)さんが入院しているアニャン・メトロ病院へお見舞いに行きました。識別してもらえなかった昨年と違い、大きな口を開けて驚きの声「アウ!」「アイゴー!」。力強く手を握って抱き寄せてくれました。看護婦さんたちがいっぱい話されるのですが、通訳がいないので、言われている事はだいたい分かっても、会話が成立しないので、しばらく頭理ハルモニの足をマッサージして、明日また来ると言って水曜デモの場所に向かいました。病院に行くのに地下鉄を間違えて乗ったりして時間がどんどん後へと押していて、水曜デモの会場へも解散間際にやっと着いたという有様でした。黄錦周(ファン・クムジュ)さんと再会を喜び合い、十月の同時証言集会へ招待したいと再度要請しました。「福留さんから聞いているよ。行くよ」と元気な返事をもらいました。

通訳の大学院生イさんと合流し、食堂でみんなと一緒にお昼ご飯を食べてから朴SOさんのお宅へ行きました。この時点でナヌムの家に行く事は諦めました。朴SOさんは、「私たちの裁判は今どうなっているのか。」と毎日のように日本に電話をかけてこられますが、電話をしたことを忘れてしまわれるようです。彼女の興味は裁判と病気と、言い切ってもいいくらいで、裁判にかける思いの切実さに胸を打たれます。。連れ合いさんは私たちの訪問が楽しそうで、ご自分の事をずいぶん話され、SOさんの被害に対する補償のあり方についても熱心に聞かれ、さらに「(小得さんが)ボケていることを認めないから困る」と言っておられました。

翌二十五日は李順徳(イ・スンドク)さんに会いたかったのですが、旅行中で会えなくて、イさんに付きそってもらってもう一度朴頭理さんのところへ。前日もそうでしたが、私たちを迎える頭理さんの力強さには驚きました。朝鮮人参茶をストローでぐいぐいと飲まれるのです。看護婦さんたちから頭理さんが入院患者のボーイフレンド(イケメンハラボジでした)に「貢いでいる」こと、日本人の見舞い客からお金を「まきあげて」、貯めては彼に渡していると聞いて笑っていたら、頭理さんから怒られてしまい、また皆で大笑いしました。寝たきりの頭理ハルモニが周りの人たちに与えるパワーの凄さに脱帽です。ハルモニは今も青春しているので、自分の顔を鏡で見るのは嫌いだそうで、手で払われるそうです。とても楽しいお見舞いでした。歩けるようになってナヌムの家に帰って長生きしてほしいと切に思います。

連れ合いは壱岐問題でKBSの本社で取材を受け、帰国に間に合う時間ぎりぎりに病院に着き、慌ただしく頭理さんとお別れのあいさつ。「立たせろ!」と頭理さんが立って私たちを見送りたかったのと、テレビチームが来たので病室は騒々しくなってしまい、他の患者さんやスタッフのかたに申し訳ないことをしました。

今回は李順徳さんに会えなかったことと、ナヌムの家に行けなかった事が残念でした。(ナヌムの家の矢嶋さんからの連絡で、順徳さんはウリチブに入居され、十月五日の水曜デモには元気で出てきておられたそうです。)

韓国社会が居心地良く感じ、ずっと何故なのか考えていましたが、韓国映画「大統領の理髪師」を見て唸り、納得しました。韓国社会が風通しがよくなっていること、それを民主主義の成熟と言うのかもしれませんが、はるかに「大人社会」になっている事を感じ、羨望を禁じ得ませんでした。

 

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