関釜裁判ニュース第48号

不二越訴訟 第六回口頭弁論に参加して  三輪(直)

四月十一日午後、富山空港で待ち合わせ。北陸連絡会の方に案内された喫茶店に朴SO)さんとイさんが先にいらっしゃった。小得さんと恵美子さんは抱き会って再会を喜びあっておられた。

小得さんたちと同じ飛行機に三星電子の方が乗っていて、不二越の社員さんが迎えに来ていたそうだ。三星電子は勤労挺身隊の問題を解決しない限り不二越との取引を中止すると表向きには報道されていた。

北陸連絡会の方の運転する車で宿泊先の夢ハウスに到着。休憩後、滞在スケジュールの打ち合わせ中、手渡された意見陳述の原稿を読んでいた小得さんが泣きながら怒りだされた。日本政府と不二越はこの問題を解決する気があるのか。これを読んでもわからない。私は支援してくれる皆さんが自分の仕事を休んでまでこうしてきてくれるのはほんとにありがたいと思っている。私は乞食じゃない、働いた分を払えと言っているだけ。自分とおじいさんは薬代がかかる、孫は大学生と高校生、でも息子は、おかあさん、不二越から給料もらってきなさいと小遣いを渡してくれる。嫁は日本がそんなことするはずがない、行かないでという。

先の見えない裁判、十年も裁判し続けても日本が解決に動こうとしないこと、家族にたいして申し訳ない気持も語りしばらく泣き続けられた。

四月十二日朝七時すぎ、社員さんの出勤時間に合わせて不二越前でビラ撒き。八時頃、朴さんと付き添いのイさんだけ不二越の中の挺身隊の記念碑に献花しに行かれた。支援する会のメンバーは不二越側に拒否される。

その後富山城のすぐそばを流れる川で遊覧船に乗った。川べりに満開の桜の木が立ち並びきれいだった。こういう時間をつくってくださってありがたかった。

夜は県職労と懇談会。まず勤労挺身隊についての朗読劇があった。当時の勤労挺身隊が勤務していた工場の様子や引き揚げるときの博多港がスライドで写しだされると朴さんは熱心に見られた。

朴さんがマイクをまわすようにおっしゃって県職労の方全員に自己紹介を勧められた。それぞれどういう想いでこの場にいらっしゃったのか語っていただけたのがとてもよかった。

四月十三日裁判当日。福山連絡会の方たちも六時間も車をとばして駆け付けてくださった。午後一時頃弁護士会館で通訳の方と打ち合わせ、弁護団の方や連絡会の代表の方も合流。こっちのほうが緊張してしまう。

隣の裁判所にぞろぞろと歩いていくと玄関前に小得さんの恩師の杉山とみ先生が立ってらした。朴さんは感激して泣き崩れその場にうずくまってしまわれた。裁判が終ってすぐのときは小得さんは緊張して少し手が震えていた。杉山先生のほうを見て少し安心したような表情を見せた。

弁護団は九人の証人申請している。国側は必要なしとし、不二越側は検討して後日提出、裁判所がどう判断するかは今のところわからない。三人並んでいる裁判官のうち左の人がかわったそうだ。夜七時からの報告集会では小得さんのお話はなかった。意見陳述が終って少しほっとされたようだ。

日本のニュースや韓国の勤労挺身隊のハルモニや金さんのドキュメンタリーがビデオ上映された。北陸連絡会の方たちが訪韓する様子も写っており、韓国の遺族会と関係をしっかり築きあげてきて、連携をとって日本政府と不二越に対しているのがわかった。不二越の株主総会のときのビデオも見ることができた。

日本に来てからずっとテンション高くてしゃべりっぱなしだった朴さんがこの日の夜ようやく、疲れたとおっしゃった。

翌十四日昼十二時富山駅で杉山先生と待ち合わせで昼食をいただいたあと、朴さんとイさん、福山のOさんはJRで福山に向かわれた。心配していた朴さんの認知症は、説明したはずのスケジュールを何度もたずねたり、杉山先生と何回かお会いしたここ数年の記憶がとんでたり、宿泊してる部屋を何度も間違えたり、日本語でお話しされていたのがいつのまにかハングルになっているのにご自分で気が付かれなかったりというかたちであらわれていました。

十四日夜、福山では約三十人の心温まる交流会が催され、小得さんはご機嫌でした。今回は原告の老い・彼女たちの切実な願いと日本社会・運動の現実の落差に引き裂かれそうな思いを味わいました。そして北陸連絡会の方々や弁護士たちの活躍に学ばされ、励まされました。また、付き添いで来てくださったイさんには最後まで朴さんのそばで彼女を支えつづけてくださって感謝の言葉もありません。(恵)

 

 

 

 


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