隣国からの呼びかけにいかに応えるのか 戦後60周年にあたって 花房俊雄
初めに
暖冬を思わせたこの冬は新年に入ると一転厳しい寒さが続き、日本以上に寒い韓国に住む原告たちが無事この冬を乗り越えることができるか気がかりである。なかなか退院できない朴頭理さん、不眠症が悪化し入院した朴Sunさん、電話で何度も同じことを聞いてくる朴Soさんとそれぞれ老いの進行を実感させられる。原告ではないが元日本軍「慰安婦」の訃報は今年に入って相次ぎ、すでに韓国で五人、台湾で一人亡くなっている。関釜裁判が始まって十三年目、原告たちがなお戦後補償裁判(不二越訴訟)に執念を燃やせる最後の旬節=戦後六〇周年を迎えた。この一〇年余、日本社会と韓国社会は過去の克服に鮮やかな対比を描きながら推移した。長い民主化闘争の末一九九一年民主政権を誕生させた韓国社会は軍事独裁政権下での人権抑圧の真相究明・謝罪・賠償の取り組みを経てついに植民地支配下での被害と加害の真相究明へと向かい、民主主義の核心である個人の尊厳の回復にダイナミックな展開を見せながら光復六〇周年、韓日協定締結四〇周年を迎えている。
一方,日本社会のこの一〇年余は、長引く不況下で展開された「改革」という名の新自由主義経済政策が都市中間層の没落を激化し、彼らの自尊感情の劣化をナショナリズムへと収斂してきた。九〇年代半ばに登場した「新しい歴史教科書をつくる会」などの一部の右翼的な言説がいまや社会を覆い、「慰安婦」問題、戦後補償問題は日本社会では「自虐的、反日的」問題としてタブーであるかのごとくマスコミの片隅に追いやられている。植民地支配と侵略戦争の歴史認識自体が侵食されていく危機の中で戦後六〇周年を私達は迎えている。
この二国間の落差を見据えながら、なお希望を失わず過去の事実と向き合い和解を実現していく取り組みが私達に課せられている。
韓国における植民地支配の清算(本号の福留論文を参照してください)
韓国において今年二月から植民地時代の強制連行等の被害者申告が始まり、原告たちは居住する自治体へ被害を届出ている。と同時に一九六五年に締結された日韓条約の外交文書五冊が公開され、韓国社会に大きな波紋が広がっている。@ すでに研究者の間では自明のことであったが、当時の日本政府は軍事クーデターで成立した朴軍事政権の政権基盤強化のための経済建設につけこみ、「経済協力金」、「独立祝い金」という札束で植民地支配の清算を闇に葬り去り、強制労働被害者の賠償請求権を取り下げさせたことが改めて明らかになり、韓国社会の憤激を呼び起こしている。
A 当時の朴正煕(パク チョンヒ)軍事政権は請求権を取り下げ、強制労働被害者への補償を自国ですることを約束していたことが明らかになった。日本政府への戦後補償裁判の展望が見えない被害者たちは自国政府による補償に期待をかけ、一方韓国政府は補償問題への取り組みを検討している。
日本政府が「二国間交渉で誠実に対処してきた」として戦後補償の要求を退けてきた日韓交渉が、その実、被害者達への個人補償はおろか、強制連行名簿や資料の提供、生死確認等の被害事実の認定すら拒み、法技術的にのみ請求権を外交的に葬り去ったことが改めて明らかになってきた。二国間政権の野合でとり残されたのは、韓国における被害者の真相究明と名誉回復と賠償、日本における植民地支配への歴史認識の確立と和解である。
日韓協定締結後四〇年目にして、韓国では取り残された課題の克服に取り組みを開始した。一方の当事者である日本政府にいまだ放置されている強制連行被害者の遺骨の発掘・送還、強制連行関係の名簿と資料の提供への協力を要請した。さらに三・一独立闘争記念日の式辞で蘆武鉉(ノ ムヒョン)大統領は植民地支配の清算に言及しながら「日本が賠償することがあれば、賠償しなければならない」と日本側の努力を促した。
九〇年代に入り、アジアの民主化にともない噴出した戦後補償運動は、日韓協定に見られるように歴代日本政権が独裁政権であった相手国政権と野合し、植民地支配と侵略戦争の被害者への真相究明と個人補償を闇に葬ってきたことに起因する。日本政府と日本人には、打ち捨てられてきた被害者達の痛みと無念を理解し、個人補償を通して戦後処理の不誠実さを克服し、和解を実現する課題として認識を迫られているのである。しかし小泉首相もマスコミも蘆武鉉大統領演説を「韓国の国内問題」として冷淡に切り捨て、歴史的課題として顧みることはない。
今後の取り組み
内向きの閉塞した日本社会の中でいま私達になにができるのか。戦略的なアプローチが問われている。韓国政府が要請した遺骨の発掘・返還と強制連行関係の名簿と資料の提供に日本政府は一応協力を表明している。私達が民間でできる協力と同時に、政府や地方自治体に手持ちの資料の提供のみならず、いまだ非公開の資料の情報公開を迫って行かねばならない。野党三党で衆議院に上程・廃案を繰り返している真相究明法案・恒久平和調査会法案の成立が急務だ。このチャンスを逃してならない。第二に、個人補償について、二国間で法的に「決着」済みであっても、被害者個人の請求権まで消滅したわけではない。ましてや日韓協定締結当時いまだ存在が確認されてなかった日本軍「慰安婦」問題や女子勤労挺身隊問題は二国間においてもいまだ未決の課題である。
個人補償を強引にもみ消してきた歴史的汚点の克服を訴えながら、不二越訴訟や日本軍「慰安婦」問題解決法案への従来の取り組みゆるがせにしてはならない。
第三に歴史認識をめぐる攻防がいよいよ重大である。今年は中学校の教科書の採択年である。植民地支配と侵略戦争の加害の歴史を直視することを「自虐的・反日的」と攻撃し、他国を貶め自国を必要以上に誇る「新しい歴史教科書」は文部科学省の指導要領「わが国の歴史に対する愛情を深め」にもっともかなった教科書であるとして改めて一〇%以上の採択を目指している。四年前に比べて、日本社会の右傾化が顕著になり、かつ前回初登場した扶桑社版「新しい歴史教科書」は教科書としての技術的稚拙さも払拭してきている。さらに「つくる会」と手を結ぶ「日本の前途と歴史教育を考える国会議員の会」が文部科学省に働きかけ、採択手続きや採択基準の改悪を図り、教科書採択権限を現場教師から完全に奪い、「つくる会」教科書の採択に有利な環境をつくろうとしている。四月から教科書採択をめぐる攻防に入る。各地に「つくる会教科書」の採択を許さない市民団体を立ち上げていかねばならない。
蘆武鉉大統領は先の式辞で「日本の知性にもう一度訴えます。真の自己反省の土台の上で、韓日間の感情的沈澱物を取り除き、傷を癒やすことに率先しなければなりません。それこそ先進国であることを自負する日本の知性にふさわしい姿でしょう。そうではなくては、過去のくびきを脱することができないのです。いかに経済力が強く、軍費を強化しても、隣人の信頼を得て、国際社会の指導的国家になることは難しいでしょう。」と訴え、アジア共同体の建設に日本との共同行動を呼びかけている。
戦後六〇周年が願わくば隣国の呼びかけに応えうる希望を見出せる年になるよう、努力したいと思っています。支援してくださる皆様の変わらぬご支援をお願いいたします。
追記
さる二月二五日名古屋地裁において、三菱女子勤労挺身隊訴訟の判決があり、日韓請求権協定を理由とし原告らの訴えは棄却された。不二越訴訟を支援する富山のメンバーが判決現場から様子を伝えてきた電話に、関釜裁判の原告であった梁錦徳(ヤン クンドク)さんらの泣き叫びながら抗議する声が聞こえてきた。梁さんにとって四度目の敗訴判決である。李金珠光州遺族会代表も参加されていた。お二人の悔しさはいかばかりであっただろうか。それにしても、「二国間協定により国の外交保護権の行使は放棄されたが、国が個人の請求権まで消滅することはできない」として国の主張を退けてきた従来の司法の判断の理解に苦しむ変質・後退である。韓国における日韓協定文書の公開と韓国政府による補償の動きが、司法の判断に影響を与えたとしたらことは重大である。今後の不二越訴訟への影響も危惧される。司法までが日韓協定の戦後補償を闇に葬り去り、法技術的にのみ請求権を「解決」した外交行政に追随するような事態はなんとしても許してはいけない。