関釜裁判ニュース第47号

第七回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議に参加して 野口(早よつくろう!「慰安婦」問題解決法・ネットふくおか )

 

 日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議は、一九九二年夏、ソウルで開かれ、第二回は翌一九九三年日本で行われました。この度は二度目の日本開催でした。さる二月十二日〜十四日、六人の被害女性を含む韓国、フィリピン、中国大陸、台湾、日本から約百五十人が参加して行われました。特にフィリピンからは関係三団体が顔を合わせることができました(オランダと北朝鮮はレポート参加)。会場は韓国YMCAアジア青少年センターでした。ここは、一九一九年三・一独立宣言に先立つ二・八宣言を留学生たちの手で発表したゆかりの地だということです。今年は日本にとって戦後六○年、節目の年であり、新たな反省と再出発をしなくてはならない年です。今年は既に五人の「慰安婦」被害女性が亡くなりました。病床にある被害女性も多くおられます。私は、自らの人間としての尊厳の回復と正義の実現を見ないまま亡くなられた被害女性たちの無念さを思い、今年は何としても「慰安婦」問題の解決をと願い、そのために力を尽くしたいと参加しました。

この度来日された台湾の被害女性アマ(現地語でおばあさんの意)たちとフィリピンの被害女性ロラ(現地語でおばあさんの意)たちは、期間中三回にわたって証言に立たれました。証言の度に涙があふれ、言葉が詰まり、その傷は癒えるどころかますます深くなっていっているように思えました。そして言われました。「私たちはお金はいらない。日本政府に謝ってほしい!」と。

謝罪・補償の実現を求め続けてきた被害女性たちの声を無視して強行された「女性のためのアジア平和国民基金」は、その施策の過ちを認めないまま二〇〇六年度で解散することを表明しました。私たちはこの連帯会議において改めて、「国民基金」は何一つ、この「問題」の解決にはならず失敗であったことを確認しました。日本国民の「道義的責任」として、また「善意」にもかかわらず、被害女性に対する単なる「見舞金」にしか過ぎなかった「国民基金」は、お金を受け取った被害者も、受け取りを拒否した被害者をも侮辱し、一層深い傷を負わせてしまったことを確信しました。 被害女性たちは少女の頃、貧しいゆえに「仕事があるよ」という言葉に騙されて、慰安所に連れていかれました。ようやく生きて故国に帰ってきて五十年経ってまた、貧しさ故に「国民基金」のお金を受け取らざるを得なかった被害者たちがおられました。貧しさ故に、二度も騙されるという屈辱を味わった被害女性たち。その心情を思うとき、「国民基金」は真の解決策ではなかったことは明らかです。

また「国民基金」の支給目標達成のために、あらゆる非人道的行為がまかり通り、その過程で多くの人々が傷つかれました。この連帯会議参加を機会に来日された沈さんは、「償い金」が不正に払い込まれているように感じて、基金事務所に出向き、直接回答を求められたところ、ご本人が受領していないにもかかわらず、「償い金」が支給されていることが発覚しました。一体、いつ、誰に「償い金」を払い込み、誰に「総理のお詫びの手紙」を送付したのでしょうか。

 司法も「国民基金」も被害女性たちの願いを叶えるどころか、弱い立場を利用して虐待したとしか言いようがありません。彼女たちの真の願い、「公式謝罪と補償」を実現するために残された道は、日本軍「慰安婦」問題解決促進法を実現することに全力を尽くすしかありません。「立法ネットふくおか」を代表して参加した私は、二日目に十分の発言の機会を与えられました。「立法ネットふくおか」として、立ち上げ後の活動と今後の取り組みを報告した中で、地元国会議員に対する要請行動と街頭署名を高く評価されました。街頭署名は計画どおり、まず一回目として去る二月二七日に西新で実施しましたが、議員要請行動は今後民主党の若手国会議員や与党の国会議員にも広げる必要があると思います。

 戦後六十年緊急行動として、(1)「解決促進法」実現のほかに、次のことが決定されました。(2)国際署名運動の展開、(3)8月に世界同時デモおよび要請行動の実施、(4)教科書採択にあたり日本軍「慰安婦」を否定する教科書採択の阻止、(5)残された裁判の支援。またこのほかに特記すべきこととしては、韓国、台湾、日本から「慰安婦」記念館・博物館建設計画が報告され、それによって記憶の保存と次世代への教育を進めて行こうとしていることです。

 相次ぐ被害者の訃報に焦りを感じながらも参加者の熱い議論に接し、実り多い会議ばかりでなく院内集会にも、定例の第三水曜日サイレント・デモにも参加できたことを心から嬉しく思っています。


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