第2次不二越強制連行・強制労働訴訟 第5回口頭弁論(十二月一日)私的報告 あいざわ(富山)【裁判】
原告二名が意見陳述をすることになっていたが、おひとりが直前に体調を崩して、Coさんだけが来日され、意見陳述された。ひとりで来ることになった動揺、証人席で孤立して陳述することの重圧と不安、緊張また緊張で血圧があがり、舌がもつれて最後まで読めなかった。しかし、ご自身の体験されたこと、不二越が一円も給料を払っていないこと、三星電子の役員に円満解決を約束したにもかかわらず、原告との話し合いを拒否したままであることなどを陳述された。加えて、現在行われている「富山不二越勤労挺身隊問題の速やかな解決を求める大韓民国国会議員署名」の内容が読み上げられたが、舌が巻き上がり中断したため、裁判官が通訳にその部分を読むように指示、国と不二越の代理人に対して、署名が渡される前に話し合いに応じてほしいと結んで意見陳述が終わった。
傍聴席の私は、Coさんのそばにいて、ひざに手を置いてあげるだけでも少しは安心されるのではないかと気持ちだけそのつもりでいたが念じているほかなく、七五歳のハルモニが日本に来て裁判をしなければならない不条理を感じた。
なぜかこの日はいつもに比べて警備が厳重で、また、これまで黙認されてきた意見陳述や弁護士の準備書面読み上げ後の拍手に関して、初めて「拍手をすると傍聴制限します」裁判官が注意したが、傍聴席をほぼ埋めた支援者はいつものとおりに拍手した。朗々と準備書面の要約を読み上げる島田弁護士にも手が勝手に動いた。
なお、準備書面は、国際法と歴史論だったが、後者の日本による韓国植民地化の過程を聞いていると、現在のアメリカによるイラク侵略の状況と重なり、そのすさまじさや民衆の気持ちが想われた。また、富山県の徴兵者数二万五千八六○人に対して、一九四五年八月現在の富山県に在住した朝鮮人数二万五千人ということが述べられ、その数がイメージした。
【報告集会〜公判直後】
公判直後、近くの公民館で小さな集まりがあった。緊張の解けたCoさんが、柔らかな声で「ありがとうございました」と言われ、ほっと安心。「血圧が上がって」中断し、そこで不二越の弁護士を見たらよけいに血圧が上昇、持っていたピンで指先を刺し、血を出したら少し楽になったということだった。
その集まりで、Coさんが話されたのは、「現在自分は七五歳だが、六十年前に戻って、十三歳の少女の私と大企業の不二越が闘っているように感じた。力の差は大きい。自分は長く生きても、後四〜五年。日韓間には様々なことがあったが、その過去の清算がないと、若い世代の人たちの交流が妨げられる。辛い話ではなくもっと楽しい話がしたいから、生きているうちに早く解決してほしい」と。また、昔の思い出として、「一九四五年七月に休暇をもらって沙里院から家に戻ったら、ご飯を食べる錫の器がない。供出させられたのだという。私はこれが不二越に来て、ベアリングなどになったのではないかと思う」と、最後にはジョークも出ていた。島田弁護士の説明もあり、準備書面の意味がようやくここでわかった。
傍聴した方から、「(別件で)自分も長期にわたる裁判闘争をやって、たいへんな思いをしてきたので、原告の気持ちはよくわかる。最近、厳しい判決が多く、長い闘いになるとますます原告が高齢になり、来日できなくなる。韓国に行って法廷を開いてもいいくらいだ。事実を直視して、気を引き締めていこうと」呼びかけがあった。
【報告集会】
夜の集会では全さんに付きそって来られた韓さんも話をされた。「兄の死の場に居合わせなかったので、いまも兄がどこかで生きているように思う」とのお話もあった。
富山の報告集会では、いつも一部と二部の間がお買い物タイムとなっていて、韓国グッズや食品、関係資料を販売し、収益は裁判費用となる。また、最近では、不二越問題を様々な人たちに知ってもらいたいと、十一人分の陳述書をまとめて挺身隊の小冊子「忘れない!不二越女子挺身隊」を作ったり、それを朗読劇にして上演している。今回は、支援の会のメンバーが作った「忘れない! 私の投げた石礫」という詩の朗読、それを混声四部合唱にしたものの発表などが行われた。裁判闘争を広げるために、支援者がいろいろな試みをしていることがわかり、力強い思いをした。
しかし、社会が右傾化し、原告の年齢を考えると時間がなくて厳しい状況だが、この流れを裁判に生かし、原告とあゆみをともにしたい。
株主総会(二月十八日)での原告のIさんの発言等
「・・・不二越の社長、あなたにぜひ尋ねたいです。今立っている社長と、私が立っている距離が何メートルになりますか。このように近い距離に立って対話もできますが、何のために、幼い私たちを強制連行し強制労働させて、精神的・肉体的苦痛を与えた厳然たる事実を、韓日両国が野合して結んだ韓日協定という、紙くずより劣るその文書の後ろに隠れて、あらゆる蛮行を隠そうとばかりなさるのですか?もう、正々堂々と一対一で解決して下さい。
私たちは歳も取っています。余命もいくらも残っていません。私たちが生きている内に解決して、恨を解いてあの世へ行ってこそ、死んで目をつぶるでしょう。そして、不二越というその名も永遠にこの地球上に存在するでしょう」。(韓国国会議員五三人の署名を手に持って、議長席に向かって行った。あわてた警備員が演壇の前を立ちふさいだ。しばらくのやりとりの後、福実さんは、手に持っていた署名簿を社長の前に投げつけ席にもどった)。
(「受け取ってください」と思わず日本語で訴えたIさんに向かって、社長は「なんだ、日本語が話せるんじゃないか」とあざけるように言った。社長は「退場するか着席するかどちらかにしろ」と怒鳴り散らす。「受け取るか、この場でないならいつ受け取るのかはっきり答えろ」と支援者も叫んだ。福実さんは「私は死んでもこのまま帰れない」とすごい迫力で社長に迫った)
株主総会が終わってから、私たちは会社の正門へ行って、書類を手渡そうと思いました。「これを受け取ってもらえなかったら、私はこの場で、死ぬつもりできた」「責任をもって社長に渡してくれ」と言いました。
その後、守衛の責任者は、その書類を受け取ったというサインをして、持って帰ってきたわけです。とりあえず自分の上司のところへ渡して、そこから社長に届け、受け取ってもらうことができました。
株主総会が終わった後の記者会見で、「もしもこの署名を渡すことができずに、帰ったら、情けない」と言っていたのですが、結局、渡すことができたので、不二越正門前で、記者たちには、「とてもさわやかな気分である」と言いました。