関釜裁判ニュース第46号

 成SUNさん意見陳述 

(2004年7月28日富山地方裁判所)

 この裁判で、被告らは時効を理由に責任を否定しているそうですが、私は、なぜ今日まで裁判に訴える事ができなかったのかについて意見を述べたいと思います。裁判官には心の耳を傾けて聞いていただきたいと思います。

 私は1930年5月15日に生まれ、現在74歳です。1945年1月ごろ、数えで14歳のときに、日本人教師に勧誘されて、不二越へ来る事になりました。不二越では、貧しい食事しか与えられず、大人がするきつい旋盤の仕事をさせられました。日本人の班長が殴ったり、けったりしてノルマを達成するように強要されました。

 そのために、2ヶ月ほどで疫病にかかり、仕事中に工場で倒れて、1ヶ月ほど入院しました。高熱が何日間も続き、髪の毛が全部抜けてしまい、このまま家族に会えないで、死んでしまうのではないかと、毎日毎日泣いていました。

 日本が戦争に負けて、10月になってようやく博多港を経由して韓国に帰ることができました。「進駐軍が写したフクオカ戦後写真集」の中の「帰国を喜ぶ少女達」の中に、不二越から帰るみんなと一緒に私も写っています。

 私も、私以外の挺身隊参加者も、不二越に行っていたことについて、他人には話をしませんでした。「幼い時に日本に行った」と言うと、韓国では、誰もがみんな「慰安婦」と考えるからです。それで、決してだれにも話しませんでした。ましてや衆目の中で、裁判に訴えるなど到底できないことでした。

しかし不二越で生活したことは、いつも私の頭の中に残っています。私は心臓がよくありません。不二越で受けた空襲のことをたびたび思い出しますが、そんな時は、心臓がドキドキして眠れなくなります。大きな音がすると、動悸がするため、子どもたちには大きな音を出さないようにと言ってきました。

私たちは不二越に強制連行され、強制労働させられながら、給料も支払われず、何の補償も受けず、慰めの言葉一つ聞けず、空襲で受けた恐怖と精神的な傷によって、今でも健康が侵された状態で、苦しみが続いています。

 私が死ぬまでにこの被害を解決し、名誉を回復したいのです。私が死ぬその日までに、この問題を解決できなければ、私の恨 (ハン)は解けないでしょう。

私は不二越から帰った後、2年ほどして結婚しました。私は女子勤労挺身隊として不二越に行っていた事を恥ずかしい事だとは思っていなかったので、結婚当初から日本に行っていたことを夫に話しました。その後、夫はラジオを聞いて、「おまえも慰安婦だったのだろう。汚い慰安婦とは暮らせない」と言い、私に暴力を振るうようになりました。そして長い別居の後、私が44歳の時に4人の子を残して夫は亡くなってしまいました。

 その後は、あらゆる苦労をしながら、4人の子どもに教育を受けさせ、結婚までさせましたが、子どもたちも私の事を「慰安婦だったのではないか」と誤解し、恥ずかしく思い、往来をしませんでした。私は孤独な生活を強いられ、心臓病に苦しんでいるうちに健康が非常に悪化し、10年前からどんな仕事もできなくなりました。

 私は、幼い歳で何も知らないまま、日本の為に言われるとおりにやっただけですが、そのきつい苦労の対価として、今までの人生で夫と子どもたちに無視され、 「慰安婦だった」というくびきを掛けられ、一生を涙で生きなければなりませんでした。私は、子どもたちにだけでも、このくびきを解き放たれた姿を残して逝きたい心情です。

 私の無念さと恨 (ハン)が解けなければ、死んでも霊魂が泣きながらさまようことでしょう。どうか、この恨(ハン)多き老女の状況をお察しいただいて、残りわずかな余生ですが、平安に暮らすことができるようにしていただけることを、切にお願い申し上げます。

 最後に、今年の3月には、韓国の国会で、「日帝強占下強制動員被害真相糾明法」が成立しました。日本による植民地支配と侵略の実態を明らかにする事は韓国国民の総意であり、私の気持ちでもあります。

 このように韓国において、ようやく日帝の戦争責任を追及できるようになったにもかかわらず、日本の裁判所では時効によって、私達の権利が消滅したという判決が続いていますが、到底納得できません。

 また、不二越が強制連行・強制労働について謝罪もしないで、韓国企業三星電子と取り引きしていましたが、不二越が戦犯企業であることを知った後、6月11日、三星電子のキム常務が不二越富山本社を訪問して、明石副社長らと会談しました。その会談の中で、不二越が「懸案問題について、最善を尽くして円満な解決に努力する」と答えたと、三星電子から聞きました。

 その知らせを受けて、7月13日、原告団の代表が不二越富山本社を訪問して、誠実な回答を求めましたが、不二越は「原告とは話しをしない」という態度に終始し、「円満な解決に努力する」という姿勢に程遠いものでした。

 この場で改めて、不二越は三星電子への回答を踏まえて、強制連行被害者に誠実な対応をされますよう訴えます。


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