厳しい夏がやっと終わった2004年10月7日、名古屋三菱訴訟の結審でした。原告全員と光州遺族会会長の李金珠(イ・クムジュ)さんが名古屋に来られるとのことで、会いたい一心で傍聴のためはじめて名古屋に行きました。十五人の弁護士が座る弁護団の最終弁論の迫力には度肝を抜かされました。次々と立って、法律論だけでなく、原告たちの被害の深刻さをご自分の言葉で訴えておられました。圧巻はやはり梁錦徳さんの最終意見陳述でした(関釜裁判の原告たちが、リラックスした時、台所の隅などで自嘲気味に語る言葉が「何故!行ったかねー」です)。梁さんはその「挺身隊」に「志願」した時の様子を目に見えるように具体的に冷静に陳述しました。彼女の祖国が日本の植民地にされていて、彼女が皇民化教育の優等生だったからこそ「志願」したのだということを自分の言葉で語られました。
彼女は最後に裁判長に向かって土下座をしました。「これ以上は待てない」「勝たせてほしい」との切実な気持ちと、裏切られてきたはずなのに、日本の「法の番人」たちを信じたいとの思いが伝わります。私は心の中で「梁さん!そんなことはしないで!貴方は勝っている!」と叫んでいました。「下関と広島の二度の敗訴を乗り越えて、貴方は自分の被害の原点を見据えた。貴方は勝った!」と私は叫びたかった。
裁判を傍聴し、報告集会に参加して、つくづく考えさせられたことは、優秀で従順で向上心が強いからこそ、挺身隊に志願し、帰国後、韓国社会の酷い「挺身隊」差別の中で自尊心を打ち砕かれ、自らの中で「慰安婦」差別を増幅させてきた被害者が多かったのではないかということでした。
企業と国に被害事実の重さを認めさせ、謝罪させ賠償させて勤労挺身隊被害者の名誉を回復することは、自らの差別意識からも解放されていく第一歩なのだと感じました(判決は来年2005年2月24日です。この結果は即不二越裁判に影響することでしょう)。