関釜裁判ニュース第46号

ロラたちのお話を聞いて 安倍

 ロラ・ナルシサ・クラベリアさんのお話は、冒頭から、ハンカチ無しには聞けないお話でした。うす緑色の綺麗な、オーガンジーのパフスリーブのブラウスを身につけたクラべリアさんは、童女のような可愛らしい笑顔で、私たちに挨拶をしてくださいました。タガログ語ですから、通訳の時間がくるまで、私達にはお話の内容が分かりません。次第にクラベリアさんはしくしくなきながらお話をしていかれます、そのしくしくがやがて号泣に代わるのに時間はかかりませんでした。やがて通訳により日本語に変換されて、そのお話の凄まじさに驚かされました。

 母親が犯され、父親が殺されていくのを目の前にしながら、それを止める事も出来ずに、親の、兄弟達の叫び声を聴きながら、じっと耐えなければならないなんて・・・こんなひどい事が有るでしょうか。

 そして、これをやったのは私たちの親の世代です。フィリピンに上陸した日本兵達は、男と見るとゲリラと見なし殺害、女と見ると性の道具にして強姦、輪姦していく・・。

 僅か15歳の年で日本兵の性の奴隷にされたロラ・ピラール・フリアスさんは、昼間はいつも日本兵達の身の回りの世話をさせられ、移動中は腰紐で後ろ手に縛られ、兵隊達は軍靴で野山を歩くのに彼女達ははだしで「でこぼこ」のけわしい道のりを歩かされ、血豆が出き皮がむけ肉汁が出ても歩き止める事を許されず、膝で歩いて足の痛みを堪えたり・・・。

 夜は床に毛布も敷いて貰えずに、コンクリートの上に筵を敷かされた上で次々と日本兵達に輪姦されていく・・・僅か15歳でですよ。此処に書き記していくだけでも涙が溢れ出て止まりません。

 私たちが15歳の頃はどんなだったでしょうか。お友達と学校で部活がどうだ、映画がどうだといいながら育ったあの15歳の時に、戦時下のフィリピンの彼女達は、童女の笑顔も奪われ、女性としての尊厳も奪われ、親や兄弟達も奪われてしまったのです。

 痛いと言う時に親も無く、辛いと言う時に親も無く、全ての幸せな時間を奪い取られて、その上に戦後の彼女等の何の謝罪も補償も無く、被害者認定すら最高裁で上告を棄却され、この先彼女達に何を求めて生きていけといえるのでしょう。

 忘れてはいけません、これをやったのは私たちの親の世代なのです。被害者も加害者もまだ生きているのです。

 勿論、彼女達は同情を乞いに日本に来たのではありません。せめて被害認定が出来るように、そして彼女達の苦しみがもっと多くの意識ある日本人達にわかってもらえるように、老いた身体を引きずり、さすりながらやってきているのです。集められた国民基金は彼女達の尊厳を快復させられるものではありません。あなただってきっとそうではありませんか?

 あなたに罪を犯した人が謝罪せずに、その近所に住んでいる人たちから「辛いだろうけどこのお金で我慢して、あなたは大変な事に遇ったのよね」と言われてそのお金を貰って、その犯罪者を許す事が出来ますか?補償や賠償は犯した人自らが謝罪の言葉と共にすべきです。こんな簡単な原理がわからずに知らないふりをしている政治家達は大バカモノです。今後は心ある議員達に戦後補償の法の認定化を求めて積極的にロビー活動をしていく必要があります。

 世の中は、国民一人一人の意識の高まりと行動力で変わります。変わらないでいるのは知ろうとする人たちが少ないから。でも、心をこめて伝えることは出来る。ロラたちが少しでも心安らぐ日々を送ることができるように、そして、その心安らぐ日々が永遠に続く日常がくるように、私たちは急ぎましょう。私もそのために 私の隣にくる人にこのお話を伝えていきます。


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