関釜裁判ニュース第46号

戦争を超え平和への連帯と出会いの旅 アジアの人々と真に共生したい! 

 

(私の韓国訪問は、このたび3度目でした。以前にもまして多くの新しい出会いが待っていた実りの多い旅となりました。まず初めに、この旅をコーディネイトしてくださった在日韓国基督教会小倉教会のC牧師とMさんをはじめ、献身的に私たちにかかわってくださった挺対協のSさん、多くのハルモニたち、ハルモニを日常的に支えておられる皆さん、ボランティアの方々、一緒に旅した平和を愛する仲間たち、そして夜遅くまでも付き合ってくださった運転手さんにお礼申し上げます。色々お世話になりました。お蔭様で韓国の鍋料理や家庭料理、念願の本場の石焼ビビンバも堪能できました。楽しく、有意義な旅を本当にありがとうございました。)

 私は、韓国訪問は謝罪の旅と位置づけています。観光だけではとても行けないものが、私の中にあります。その一つはもちろん日本軍「慰安婦」ハルモニの存在です。1992年に金学順ハルモニが元「慰安婦」だったと名乗りでられて以来、心の片隅から離れない事柄です。2000年に初めて「ナヌムの家」を訪問して以来はハルモニはもっと身近な存在になりました。「ナヌムの家」のハルモニたちは、日常生活においてはもちろんのこと、精神的にも「ナヌムの家」の要であられた金順徳ハルモニを亡くされてずいぶん落胆しておらるだろうと思っていましたが、ハルモニの死を乗り越えて、ハルモニの死を次の生きるエネルギーに変えて、元気に過ごしておられる様子に嬉しく思いました。「ナヌムの家」の屋外広場にある「手折られた花」の銅像は、私がとても心引かれる場所です。金順徳ハルモニが生前、描かれた「咲ききれなかった花」をモチーフにして製作されたものです。「花ひらく年ごろ、日本軍に連れ去られ、踏みにじられ失った人生、取り戻すのに50年の歳月を要した、・・・ここで再び、心底望んだ生活を営む。虚空をさまよう悲しい魂も、もういまは、天に向かって解き放とう。」の献詩が添えられています。この銅像の真下の地下に等身大の「慰安所」の模型があります。過去の苦しみを地下に沈め、現在の生活は空に向かって前向きにすごせるようにという願いが込められていると言います。訪問3度目にしてやっとハルモニと手を取り合って話を聞き、抱き合って親交を深めることができました。ハルモニに受け入れてもらえた喜びをかみしめました。

“お金はいらない!日本政府に謝罪をして欲しい!謝罪!謝罪!”と身体に刻まれた刀傷を見せながら、強い調子で訴えておられた。「憩いの家」のハルモニが忘れられません。“また来ますね”と言うと、“また来るということは、この『問題』がまだ解決していないとということでしょう!と叱られました。”私たちが死ぬのを待っているのではないか!“という言葉と共に、私には重い突きつけでした。

 この旅で初めて、南北の統一を願う観光地「臨津閣」、南北分断の現場・非武装地帯に行きました。38度線を境にして南北を分断している4Hの幅の帯は、誰も立ち入ることのできない場所です。鬱蒼とした森になっていました。調査にすら立ち入ることが許されないその森は、人間の悲しい現実を後目に、誰に邪魔されることもなく生き物すべてが豊かに、自由に生きていることでしょう。その森に感動し、いつの日かその森を抜けて南と北の人々が手を取り合う日が来ることを願いながら、その場を後にしたのですが、帰国したその日の夕刊に「つくる会」の教科書を東京都教育委員会が採択したという記事を見つけ、「なぜ?」と問うと共に、言いようのない憤りを感じました。一つの民族が分断された原因は、日本が朝鮮半島を侵略したことにあるにもかかわらず、そのような侵略はなかった、日本の朝鮮半島支配は正しかったと記述する教科書が何故?ハルモニたちも老いの身を震わせて怒って折られるだろうと思うと心が痛みます。

 8月25日、「水曜デモ」に参加しました。621回目でした。もう12年目に入ったのです!機動隊に守られて立つ、無言の日本大使館に向かって、最前列にこそかけたハルモニの皆さんと共に“日本政府は謝罪せよ!そして償え”と抗議の声をあげました。余りにも長すぎる「水曜デモ」を無視しつづける日本政府の対応の冷たさや日本人の無関心さもさることながら、私こそ何をしてきたのだろうかと深く思い知らされました。毎週水曜日が来る度に“今日も日本大使館前で毅然として「謝罪と賠償」を求めて抗議されているのだろうなあ。”とその光景を思い浮かべています。

 この日の「水曜デモ」には、韓国の中高生や若い人がたくさん参加していました。日本軍「慰安婦」問題が解決したとしても、次の世代を生きるこの中高生たちは、日本人を赦すことはあっても決してこの事実を忘れてしまうことはないでしょう。日本軍「慰安婦」のことも、自国の加害の事実も知らされないまま、あるいは知ろうともしないまま、何の反省もなく、二度と同じ過ちは繰り返さないと言う堅い決意もなく生きていく日本人と、被害の事実を心に刻んで世界平和のために貢献しようとする韓国の人々の生き方の違いに、日本はやがてアジアで孤立していくのではないかと懸念します。アジアの人々と真に共に生きていけるように力を尽くさねばならないと思います。

 この「水曜デモ」を支える挺身隊対策協議会のスタッフの一日は、ハルモニの安否を訊ねる電話かけから始まるといいます。ハルモニたちの痛みを担い、支え、ハルモニたちの福祉から、対政府活動、女性人権教育の場づくりなど、幅広い活動を精力的に続けながら、60周年を視野に入れた活動も開始されているとのこと、U事務総長の指導力とバイタリティに圧倒されました。この「問題」解決のための取り組みについてもっとつっこんだ交流ができるとよかったと思います。是非、機会を作って交流したいものです。

 “このまま問題が解決しなかったら目を開けたままで死ぬことになる“というのがハルモニの口癖だと、聞いたことがあります。韓国の習慣では、目を閉じて死ぬと魂が天国に行くけれど、目を開けたままで死ぬと魂が天国に行かないでこの世をさまようと言います。

この世でも苦しい、死んでも苦しい。こんな心配を持って生活されているハルモニたちの人間として尊厳を回復し、残り少ない人生を安らかに過ごしていただくには、先ずは日本政府の「謝罪と賠償」しかないのだと肝に銘じて帰国しました。

 今でも、ハルモニ一人一人の顔や言葉、手や身体のぬくもりを思い出す度に、涙があふれます。戦後60周年を迎える来年に向けて何もしないでは、ハルモニたちに会わせる顔がありません。韓国の地を再び踏むこともできません。今、私たちにできること、そして頑張らなくてはならないことは、次の四つです。

(1)現職の教師たちに、この旅の報告をし、次世代を生きる子どもたちにも伝えてもらう。
(2) 12月4日の全国証言集会「消せない記憶」の成功に力を注ぐ。まず、福岡実行委員会に関わる。
(3)「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の早期制定を求めて活動を強める。
(4)この秋に始まった「戦後60年に、日本軍性奴隷制の解決を求める国際署名」に協力する。


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