国際連帯協議会に参加して
緒方貴穂
五月十八日、国際連帯協議会ソウル大会に参加するために、ひとり韓国に渡った。二週間前にも訪れていたので、今月二度目の訪韓だった。最初の訪韓時、ハルモニたちの痩せ衰えた姿に接し、“時間の無さ”を改めて感じた。特に、朴頭理(パク・トゥリ)ハルモニの病床の姿に言葉を失った。裸同然の下半身、骨と皮だけの両足、ベッド脇に縛り付けられた両腕、鼻と腹部には点滴と導尿の管…。悔しくて仕方なかった。何かしなければと焦燥感に駆られ、二度目の訪韓を決意した。
二十日から二十二日にかけて、ソウル女性プラザを会場に協議会は開催された。正式名称は「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」。昨年九月の上海での創立大会に続く、第二回大会だった。戦後六十年を翌年に控え、過去清算運動の転換点となる契機をつくり、激しさを増す日本の右傾化を阻止するために、七ヶ国・地域(南北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、米国、日本)から、二百名以上が参加した。
二十日は歓迎晩餐会が主で、実質的な協議は二十一日から始まった。基調報告の後、被害者証言。郭貴勲(カク・キフン)さん(韓国人被爆者)、李相玉(リ・サンオク)さん(朝鮮人元「慰安婦」)、姜根福(カン・グンボク)さん(南京被害者)、アモニタ・バラヤディアさん(フィリピン人元「慰安婦」)…。壇上で泣き崩れる証言者、傍らに寄り添う支援者、それを取り囲む多数の報道陣…。
午後は、日本軍「慰安婦」、遺骨・調査、強制連行、集団虐殺、教科書問題というテーマごとに様々な視点から分析と報告がなされ、翌日の分科会で更に議論を深めた。
「慰安婦」分科会では、今後の具体的な行動について討論し、国際署名活動、世界同時デモ、各国議会や国連人権委員会への働きかけ、記念館建設、国際司法裁判所(ICJ)への提訴等が合意された。概して実践的な内容で、戦後六十年に向け、何とか解決の道筋をつけようという熱気が会場にあふれていた。国際署名は来年七月に国連と日本政府に対して提出する予定で、今後各国で取り組まれることになる。世界同時デモは、国境を越えて連帯した六百回水曜デモの経験を生かし、各国にある日本の公共施設(大使館・領事館等)の前で行われることが決まった(日時は来年七〜八月頃)。
ICJ提訴に関しては、北朝鮮の並々ならぬ意気込みが感じられた。「わが国には、証拠と証人が充分整っている…」。各国政府が提訴に踏み切るよう国内運動を展開することが提案された。
日本の国内運動としては、国会への働きかけや記念館の建設が課題だろう。「慰安婦」裁判での敗訴が続く中、立法解決に向けて世論を喚起し、議員に協力を要請して行く必要がある。また、戦争の実相を記録・記憶し、次世代を教育する場として記念館の建設も推し進めなければならない。(現在、「女たちの戦争と平和資料館」建設に向け、募金活動中。)
午後、声明文の発表。強制連行被害や遺骨の調査と真相究明、靖国参拝・有事立法・イラク派兵などの軍国化の阻止、歴史教科書歪曲に対する闘い、賠償請求訴訟への支援、謝罪と賠償を伴った日朝国交正常化、日韓基本条約の改定運動等々、今後の取り組みが読み上げられ、第三回平壌大会(〇四年九月)、第四回東京大会(日時未定、〇四年十二月?)の開催が確認された。
閉会の挨拶に立った姜萬吉(カン・マンギル)さんは、日本人参加者に対し手厳しい言葉で締め括った。「今回日本から参加した方々は、日本の中でも良心的な勢力だと思います。しかし、日本の良心勢力は飾りにしか過ぎない。皆さんは監獄に入れられたことがありますか?戦後六十年になろうというのに、未だ過去の清算をしていない日本は文明国とは言えない。皆さんのこれからの闘いに期待します。」
もう一人、金亨律(キム・ヒョンイル)さんも忘れることができない。「“唯一の被爆国”という被害者意識に立った日本の平和主義は“嘘の平和主義”です。広島・長崎の被爆者の約一割(七万人)は朝鮮半島出身者です。なぜ私の母は広島で被爆したのでしょうか…」。社会的無関心の陰で被爆の後遺症に苦しみ続けている被爆二世の境遇を、痩せた体で懸命に訴えかけていた。先天性免疫障害のため肺機能の七十%が失われ、残りの三十%で呼吸しているとのこと。自分と同世代で、想像もできないほど苛酷な人生を歩んでいる金亨律さん…。今後は、在外被爆者二世のことも課題としなければならない。
夜の歓送晩餐会は、とても和やかな雰囲気で、各国それぞれ歌や踊りを披露した。とりわけ「慰安婦」被害者の方々が嬉しそうに歌い踊る姿に、目頭が熱くなった。韓国の李容洙(イ・ヨンス)さんがマイクを手に歌い始めると、つられて他のハルモニたちも踊り出す。北朝鮮の李相玉さんは少し照れた様子で、フィリピンのアモニタさんも最高の笑顔をしている。今も続く心身の痛みと過去の壮絶な記憶からひとときでも自由になって欲しい…、そう願いながら、至福の時をしばし共にした。
宿への帰り道、朴頭理ハルモニのことを思い出しながら、自らに言い聞かせる。この協議会を単なるイベントで終わらせてはならないと。