原告を訪ねて(その1) 

  松岡澄子

昨年の六月十四日(裁判の最終結果の報告のために、天安(チョナン)近くの温陽温泉(オニャンオンチョン)に、原告、支援者二十三人が集まった)以来の訪韓でした。
花房夫妻が、五月一日、釜山で知人の結婚式で主礼(牧師と仲人を兼ねた役)の重責を仰せつかった機会にあわせるスケジュールでした。参加者は花房夫妻、緒方貴穂さん、井上由美さんと私の五人。日程も手段もさまざまで、連休中の海外渡航組のカウントになりました。私も連休中なればこその参加で多忙な仕事と携帯電話からの解放の時でもありました。

◆5月1日  釜山
 釜山港に柳賛伊(ユ・チャンイ)さん、朴Sunさん、姜Yonさん、李Yonさんと共に馬山在住の秋月さんと、先に釜山入りしていた緒方さんが私たち二人(松岡、井上)を出迎えてくれて、釜山の海水浴場である海雲台(ヘウンデ)のコンドミニアムに行きました。結婚式の大役を果たした花房さんも合流し、今回の旅がスタートしました。
 素敵な海岸を散歩したのは元気な柳賛伊さんのみで李Yonさんは風邪のために大きなマスクを、朴Sunさんは睡眠薬の副作用で足がふらついて転倒し、打撲した腕にサロンパスを貼っていました。姜Yonさんはソウルのお兄さんがガンの末期で早朝見舞いに行くのでと夕刻帰宅されました。

◆5月2日  光州
 元気な柳賛伊さんも急遽同行することになり高速バスで光州に向かいました。来日の際李金珠(イ・クムジュ)さんたちはいつも約四時間の道のりを通われたことに高齢なので大変だったろうと感じました。
 バスターミナルに三人が迎えにきてくださり李金珠さんの家へ。広島で風邪をひかれた後、咳がまだ治らず長くつらい様子に心痛む思いでしたが、李金珠さんの「メディアを通して知らせる」という使命、執念の健在さに安堵もしました。
 インターネット新聞で配信しているオーマイニュースの記者から私たちは取材を受けました。梁錦徳(ヤン・クムドク)さんはデイサービス(?)に毎日通っているとお元気でした。不二越裁判の第四回口頭弁論で意見陳述する成Sunさんと打ち合わせをしましたが、以前よりやつれた様子が気になりました。韓食堂でごちそうになった蚕のサナギの絶妙な食感も印象的でした。

◆5月3日  ソウルから春川
   金浦空港に迎えてくれた朴Soさん、金Jyonさん、羅Faさんと共に朴頭理(パク・トゥリ)さんのいるアニャンメトロ病院へ地下鉄で行きました。
 二月十日、体力、気力が弱ってヨンインの老人病院に自ら望んで入院したのですが冷えた足を温める足浴でやけど(皮膚感覚がないために温まらず熱いお湯を入れた)という信じがたい事故に遭い、三月四日ここに転院されました。
 入室時おむつ交換かと錯覚したほどで、導尿していることもあってフラットの紙おむつを下に敷いてあるのみで下半身は素っ裸。口から食べていないのでしょう、鼻腔栄養のチューブと左胸の中心静脈栄養の点滴、両手は抑制のグローブ(薬の副作用の掻痒を掻かせないため)、両足は包帯でぐるぐる巻きの状態でした。
 点滴を抜くなど医療事故につながるとして「抑制」が実施されている医療・福祉の現場から「抑制は人権問題」と指摘し抑制ゼロ作戦が展開され始めたのは日本でもほんの二、三年前のことです。尊厳を求めているあの朴頭理さんが抑制されているのを目の当たりにして老人福祉に携わっている私としては何ともやりきれない悲痛な思いに駆られました。立つ、歩くためにリハビリをする。リハビリのために皮膚移植は必須だけど、娘さんの同意が得られないようです。今回の発端は、古今東西を問わずにある親子の愛憎の結果として心痛みました。
 食べる楽しみもなくただひたすら抑制のまま、ベッド上で時間の経過に耐え続けなければならない朴頭理さん。尊厳とか人権はおろか基本的欲求すらも充足されていない現実。医療、福祉に対する理念、看護師、介護者の質と人数の問題、予算等、問題は大きく深刻だろうがこの原稿を書いている今もベッド上の朴頭理さんの痛々しい姿が脳裏を離れません。ナヌムの家も医療と介護が複合した、専門療養院のニーズの高まりは必然と思います。

 四人のハルモニと井上さんとアニャンで別れ、四人で春川の金景錫(キム・ギョンソク)さんを見舞いました。サムスンとの会談の二日前の二月四日、心臓の血管破裂で三本のバイパス人工血管をつけるという高度の手術をサムスン病院で受け、十八日間の意識不明の闇から生還された金景錫さんは大分お元気になられていました。
 不二越闘争、サムスン交渉 否、戦後責任、戦後補償運動にとって不可欠の闘士が、再び陣頭指揮をとってくださる日が近いことを証してくれましたが、無理できないお身体であることも心配しています。
 今年二月に成立した「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法」によって韓国には地平が開ける希望を抱けました。


関釜裁判ニュース No.45 index