朴SUさん意見陳述
 
 私が、女子勤労挺身隊への勧誘を受けたのは、国民学校の5年生で13歳のときです。
 担任だった30歳前後の女性教師が、普通の授業時間の中で、「日本に行ったらもっと勉強もできるし、生け花、踊りも教えてもらえる」、「工場の設備や待遇も良いし、学校に行くこともできる」、「どうせみんな行くことになるのだから、一番先に行くのが一番有利」、「愛国することが大事だ」などと、女学生が工場で働いている活動写真を見せて勧誘しました。
 両親は、日本に何しに行くのか心配し反対しましたが、私は先生の言うことだから間違いないと信じ、父の判子を無断で持ち出し、手続をしました。
 こうして私は、富山の不二越まで連れて来られたのです。
 不二越では素材課で飛行機の部品を作る仕事に従事しました。
 私は体が弱く旋盤を操作することができず、箸のような細い直径2、3ミリの金属棒を5ないし10センチの長さに切るターレットという名前の機械を担当させられました。1本切るにも両手で力を込めないと切断することができず、それを1日に6000から8000本切らなければなりませんでした。それが終わらないと残業をさせられ、一日終わるとくたくたになりました。
 私たちは、朝早くから夜まで働かされました。夜勤作業をすることもありました。夜間作業中に居眠りをしていて、上司に小突かれて怒鳴られたこともありました。
 私は、金属棒の熱い切り屑が指に刺さりそこが化膿して2回手術をしなければなりませんでした。私の同僚で同じ怪我をした者は大勢いました。
 このような仕事を1年ほどしていたのに,給料は1円ももらえませんでした。
 休みは月に1〜2回程度はあったと思いますが、休みの日でも外出禁止で、外出できたのは、怪我をして病院での手術が必要になったときだけでした。
 食事は、朝も昼も夕食も、たくわんとみそ汁1杯弱とお椀に半分弱の大豆入りご飯ばかりでした。
 夜勤のときも夜食としてひし形の三角パン2枚だけしか出ず、おなかはすいていたのですが、あまり食べられないようなまずいパンでした。
 おかずなどが出たことはありませんでした。食事の絶対量が不足し、私はいつも腹を空かせていました。
 私が不二越で働いていたとき、空襲がひどくなり、昼は防空訓練をして、毎晩、空襲で防空壕に逃げ込むようになりました。また、私は、重労働、家から離れた寂しさ、空襲の恐怖のために少しの物音でもびっくりして起きるようになりました。やがて毎日のように空襲警報がなるようになりました。そのようなことから不二越での最後の2ヶ月くらいは、不眠症になってしまい、寮の中の衛生室で寝る生活となりました。当時衛生室で過ごす人が私を含めて3人いました。やっとの思いで仕事に戻っても、体がついていかず、また衛生室に戻るという生活を続けていました。そのときは眠れなくて、食べられなかったので、骨と皮だけという痩せた体になってしまいました。
 それで、不二越の寮の人から、これでは働けないから家に帰そうという話がでました。そのような矢先、工場が朝鮮の沙里院に疎開することになり、私もそちらに行きました。ところが機械が到着せず、晋州の自宅で待機を命じられていたところ、8月15日の解放を迎えることができたのです。
 帰国後も、不眠症は治らず、医者に見てもらったら、神経衰弱で入院が必要だと言われましたが、お金がなかったので、薬をもらうだけでした。また、栄養不足のため、脚気になっていました。それから栄養のあるものなどを食べ、食生活に気を配るようになって、徐々に体調はよくなって行きましたが、不眠症の薬を手放すことはできませんでした。
 19歳のときに、結婚しましたが、日本に行っていたことや不眠症になっていることはとても言えず、秘密にしていました。ですから、不眠症の薬も夫に隠れて飲むしかありませんでした。その後、寝ているときにうわごとを口走るようになり、それを夫から指摘されました。私は神経衰弱が再発したと思い、自分から家を出て、結婚生活は半年ほどで破綻してしまいました。父は、心配の余り何も食べることが出来なくなり、間もなく亡くなりました。母も心配したためかその2〜3年後、40代の若さで亡くなりました。
 その後、24歳のときに再婚し、3人の子どもも生まれましたが、その夫や子どもたちにも挺身隊に行ったということは言えませんでした。
 実際、挺身隊に行ったということがわかった人の中には、離婚されたり、夫婦仲が悪くなったりした人がたくさんいます。
 私は現在でも、調子が悪く、不眠症に悩まされています。不二越での重労働と栄養不足や空襲警報など、過酷な生活が原因であることは間違いありません。
 今年初め、イラク攻撃をテレビで見て、空襲を思い出し、恐怖で胸が苦しくなり、寝込んでしまいました。とても苦しかったです。
 年端も行かない子供を騙して日本に連れて行って、賃金も支払わず重労働をさせた不二越とそれに加担した国は、補償し、謝罪をしてほしいと思います。