関釜裁判ニュース 42号

 第1回口頭弁論報告 第2次不二越訴訟に参加して 

  三輪淳一

 緊張のせいか、金啓順(キム・ケイスン)さんの手は、小刻みに震えている。その手で、原稿を持っているから、意見陳述を読み上げにくそうだ。でも、読み間違えはほとんど無い。痩せた体に、黒いチマチョゴリを着て、堂々と胸を張って、裁判所に入られた。報道カメラのフラッシュが何度も焚かれた。傍聴の方々は、裁判所入り口の道沿いに並んで、彼女と横断幕を持つ支援者を、拍手で迎える。
 裁判長は、彼女の顔を見て陳述を聴く。そうして、時々、書面を見て、被告代理人と原告代理人の顔を見る。不二越の代理人は、椅子に「ふんぞり返り」、口を少し尖らせて、目玉は斜め上四五度を左右に繰返している。国側の代理人は、下を向いて、書類に書き込みをしている。そして、両者とも、原告の顔を全然見ない。「国と不二越は、謝罪し、適切な補償をして下さい」とはっきりした声で、金啓順さんは陳述を終えた。傍聴している方々が、大きな拍手をする。「拍手を止めるように」というような注意を、裁判長は言わない。傍聴席には、報道関係を含めて、六十人近くが座っている。満席状態だ。
 その次に、島田弁護士が、訴状の要約を熱心に陳述した。第二次不二越訴訟では、「裁判官の良心に訴えかける」ことに主眼をおいている。ただ、それが、三人の裁判官に伝わっているかどうかは、私は判断出来ない。島田弁護士に続く陳述のたびにも、大きな拍手が鳴るが、裁判長は止めない。裁判長の物腰や態度は丁寧で、原告が陳述している間は、その顔を見ていた。だから、外見からは「少なくとも話しは聴く人なのかもしれない。」と私は思う(出席弁護士は島田・奥村・山田・菊・松山・浮田・橋本・管野・吉川そして東京から今村さんの十人。不二越国側は七人でした。第二次不二越訴訟は二二人の原告団と十六人の弁護団で出発しました)。
 第二次訴訟の被告には、株式会社不二越だけでなく、国も加えられる。両者とも、「原告の請求は退けるように」と答弁書で訴えた。株式会社不二越は、「事実があったかどうか」から争う。「原告らについては、そもそも会社に挺身隊として就労した事実があるかどうか確認できていない」。仮に事実があるとしても、「強制連行・強制労働をさせた事実はなく、人権侵害を言われるべき行為もなかった(中略)賃金を支払わなかった事実もない」。さらに、時効が過ぎているので、原告の請求権は消滅したという。
 一方、国の答弁書では、原告の訴える事実については、「有る」とも「無い」ともしない。要約すると、「原告の主張していることは、国家賠償法が成立する前のことだ。その当時は、国が個人に賠償する責任はなかった。これを『国家無答責の法理』という。国に、原告に賠償する責任は無い。また、国際人権法は、損害賠償を請求する権利を、個人には認めていない。さらに、原告の請求は、日韓請求権協定で解決されている。だから、国は、それに応じる法的な義務は無い」。特に「国家無答責の法理」については、最高裁判例だけでなく、歴史から詳しく紹介した。
 「日本語は大体聞き取れるけど、難しい言葉は分からないよ」と金啓順さんは、裁判の始まる前から、何度も言われている。裁判は、昼の一時半から始まり、三時くらいに終わった。しばらくして記者会見をし、終わると四時過ぎになっていた。金啓順さんは、「お疲れ様でした」と声をかけられると、「疲れましたよ。でも、安心した」と言われる。顔色は悪くない。足を四年前に手術されて、杖をついて歩かれる。会場の弁護士会館は、階段が急なので、登り降りが大変だ。空は、朝から今まで、ずっと曇っている。蒸し暑いが、風が吹いていて、案外過ごし易い。

 北陸連絡会共同代表の渡部牧師の司会で、報告集会が始まった。会場は、富山市の教育文化会館だ。まず、ビデオを観る。弁護団と支援者が今年の七月に春川(チュンチョン)を訪れ、原告達から聞き取りの調査をした。その様子を記録したものだ。次に、金啓順さんが挨拶をされた。島田主任弁護士の陳述報告が続く。その後、各弁護士や支援する方々が、今日の裁判の感想や近況報告などを話した。金啓順さんは、じっと聴いておられる。
 報告会の後、皆で食事をして、夢ハウスに帰り、軽く交流会が行われた金啓順さんは薄い桃色に染めた髪の色を「似合わないかな」と不安な様子で、何回も手で整えたり、「疲れると顔がむくんじゃって」と頬を軽くたたいたり。「あしたは孫に会えるよ。お土産ももらった。私は何も持ってきてないのに、ありがとう」十一歳の女の子のお孫さんがいらっしゃるのだ。その話になると、本当に楽しそう。金啓順さんの出発は、明日朝九時一〇分の飛行機なので、六時半には起きなければならない。でも、夜十一時過ぎまでお話されていた。
 翌朝、連絡会の数人で、金啓順さんを空港まで見送った。「大丈夫。一人でちゃんと帰れますよ」と言われ、出発ゲートをくぐって行かれた。
 原告の受け入れ・車や通訳の手配・記者会見や報告集会の段取りなど、北陸連絡会の方々は、力と心を本当に尽くしておられた。私は、傍聴に集中できたし、金啓順さんとたくさんのお話ができた。何よりも感謝いたします。この場でお礼を申しあげます(訴状はホームページに載せています)。

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