関釜裁判ニュース 42号

 朝鮮の薔薇 

関釜裁判判決報告会韓国訪問に参加して   平尾弘子

 仁川空港に降り立ち、バスで高速を通る時、しばらく延々と干潟の光景が続いた。埋立てのためか、濁った泥土の海が拡がる。車窓から臨む景色は、荒涼とした沈黙が領していた。
 バスの中で、花房恵美子さんから「慰安婦問題」の解決と称し、村山内閣の元で「民間基金構想」が打ち出された当時の状況を改めて詳しく聞いた。
 先ほど、空港でお会いした李順徳さんが、「民間基金構想」の報を聞いた瞬間、それまで日本語を一切、話してなかったのに突然、日本語で、「おれは、乞食じゃないよ」と激しく言い募ったという。このことは、以前にも話に聞いていたが、ハルモニの姿を今、眼前にして感慨は、また深まる。
 バスは、一路、温陽(オニャン)温泉に向かっていた。小高い丘や山の中腹にこんもりと緑色をなす柔らかいふくらみが見える。整然と手入れが行き届いた墓所だ。韓国に来たのだという思いと、眼に柔らかなみどりが、心をやっと和ませてくれる。
 宿泊先のホテルの会議場で、釜山と光州から来たハルモニたちと初めて対面した。
 十一年の歳月、支援を続けてこられたメンバーとハルモニたちの再会を入会して二年余りにしかならない私は、傍らでそっと見守った。
 判決報告会は、裁判の結果が結果なだけに最初は、重苦しい雰囲気が漂っていた。その中で松岡澄子さんが語った、「じかに体験を伝え聞いたものの責任」「出会ったものとしての決意」という言葉に長い年月、日本の悪化する状況の渦中で支援を続けてこられた人間の核心にあたる思いが、偲ばれた。遅ればせながらも、しかも状況は惨憺たるものであるが、私もその思いを強くもった。原告のハルモニの中で朴小得さんが、「すみません。すみません」と言い、嗚咽する姿に言葉も出ない。  ハルモニ、謝らなければならないのは、私たちの側です。とりわけ、長く支援を続けてこられた皆さんは別として、私などは、概念が先走り、傍観者の位置に留まり、余りに状況が悲惨を極めたため、やっと腰を上げた人間です。このような状況を許した私たちの側にこそ責任があるのです・・・。
 そう、心の中で呟くしかなかった。
 夕食の席で眼前に座った李順徳さんは、高齢でもあり、疲れが出たのか息遣いが荒い。花房恵美子さんと二人で部屋まで付き添い、そのまま横になられた順徳さんの傍らに控えた。花房さんは、様々な手配が残っていたため、退室された。私は、その部屋にハルモニと二人きりとなった。
 夕闇が近づき、部屋は、薄暗くなっていった。静かな無音の部屋の中に李順徳さんのヒューヒューという荒い息遣いが聞こえる。今日、まったくの初対面であり、言葉も余り通じない二人が、夕暮れの迫る一室に向き合っていることが、夢か幻のように思える。窓外の景色に眼を移すと、背の低い古いビルがいくつか立ち並びその奥に山を背景に教会の十字架が見える。韓国では、至るところに教会の建物が見受けられた。
 そのうち、眼を閉じておられたハルモニが片言の日本語で、途切れ途切れに話を始められた。
「兵隊に叩かれて、頭が痛い。…あの兵隊たちは、悪いことをしたから、もう全部死んだだろう。…ここにいない。…涙が出る。俺の体じゃない。兵隊さんの体だった。今は、毎日、病院に行って薬もらわなければならない。俺は、うまく話ができない。内地の人間と二週間いたら、きっと日本語すらすら出るようになるけど、今は、半島人と一緒なので思い出せないよ」。
 このハルモニが経験してきた極限の状況の中の痛みや苦悩をほんの一時、傍らにいるだけの人間が、思いやり、理解するなど絶対に不可能だ。そのことは、充分、わかっていた。言葉は、まったく口をついて出てこなかった。ただ、涙がとめどなく溢れ出るのを抑えることができなかった。
「泣かんでいい、泣かんでいい。…」とハルモニは、声をかけてくれる。しかし、様々な思いが交錯し、涙は、あとからあとから溢れ出ていった。
 その夜は、まんじりともすることができなかった。
 翌日は、ナヌムの家にタクシーに分乗して向かったのだが、睡眠がまったくとれなかったことと、精神的な衝撃、そして胃が参っていたため、最悪の体調のまま、ナヌムの家に着いた。
 朴頭理さんは、伝え聞いたユーモアのある軽妙な人柄を想像していただけに憔悴ぶりが、痛々しい。
「娘のために気が狂ったような気がする」。そう、誰に語るともなく呟いておられた。皮肉なことに日本の「国民基金」や韓国政府からの支援金などのまとまったお金は、ハルモニたちの苦難多い人生の最後に、追い打ちをかけるように親族の間に様々な波紋を投げかける場合が多いという。
 朴頭理さんの部屋でしばらく談笑した後、初めてナヌムの家を訪問したメンバーは、資料館を見学することとなった。なかに慰安所の一室を、証言を基に再現した実物大の模型があった。部屋の隅に壊れた洗面器が一個、置いてある。当時、この中には、消毒液が入っていて慰安婦であったひとたちは、行為のあとに自分の性器を消毒液で洗う規則があったという。
 想像を絶する凶事(まがごと)…その合間、合間に繰り返される性器を洗う行為の渦中で、彼女たちが見据えた地獄の深さが、一瞬、胸を刺し貫いていく。
 李順徳さんの表情が、脳裏をよぎる。
 錯綜した思いを抱え、資料館を出ると、宿泊所の塀づたいに咲く鮮やかな薔薇の花が、眼に入ってきた。ナヌムの家にも、また、周囲に建つまばらな別荘風の家々の塀にも、牡丹色の薔薇が蔓を伸ばし、今を盛りに紅の花が咲き誇っている。
 日本で、集会を企画したり、機関紙に文章を書いたり、色々なことをやってみても焦燥と無力感は、私のなかで一時たりとも途絶えることはなかった。ともすれば心を憔悴させていく無力感と空虚な思いが、かの地の牡丹色のはなびらをみつめていると、徐々に融けだしていくのを感じた。
 日本の現状、不条理に対する怒り、憤り、哀しみ…そういった感情が行き着いた底の底にたゆたう静謐で深く澄んだ決意が、鮮やかな紅の花弁のなかに凝集されていく。

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