関釜裁判ニュース 42号

 韓国訪問雑記、その後 

  花房恵美子

 今回の訪問で一番嬉しかったのは李順徳さんがお元気だったことでした。
 李金珠さんが奔走してやっと入所できた光州のカトリック系養老院を出られ、義理の娘の住むソウル郊外に引っ越しされて、どのような生活をされているのかと案じていました。
 片目だけ白内障の手術をされ、目が少し見えるようになったことが大きな自信となったのでしょうか、娘さん家族の住む家の近くに一人で住んで、食事も自分でつくっているとのことです。昨年お会いした時は弱々しくすがるような感じがありましたが、足取りもしっかりして、体も温かく、生命力みたいなものを感じました。しかし、彼女もいつまでこのような生活ができるのかと不安を感じておられました。
 一番の気がかりは唯一人報告会に参加できなかった朴頭理さんです。娘が夫と子どもを捨て有り金を持って蒸発した事にえらく打ちのめされておられました。昨年の訪問時は娘が自分を裏切り捨てたことに対する怒りを誰彼なくぶちまけておられましたが、今回の訪問時は怒りが沈潜し、生きる力を萎えさせているようでした。昨年とのあまりの変わりように息をのみました。
 娘のかわりにはなれませんが、人恋しい朴頭理さんを訪問して慰め、あんまをして痛みをやわらげ、生きる力を持ってもらうことが大切だと痛感して帰国しました。

 雑事に追われ一人一人とゆっくり話す時間はありませんでしたが、皆一様に集まった事を喜んでおられました。
 帰国して久しぶりに熱を出して寝込みました。一つの運動が終わり,そして始まる。そのエネルギーの転換点に心身が落ち込んだのかもしれません。
 この敗訴報告に皆が無事集まるために、多くの方々のご協力があったことに感謝します。

 七月初めの早朝、朴小得さんから電話がかかってきました。「質問がある。日本の平和についてどう思うか?」。驚いてとっさに「韓国・朝鮮の人々とともにある」と応えてしばし沈黙が続き、小得さんから「うん、うん・・じゃ仕事頑張りなさいよ」といつものように切れました。多分その日の韓国の新聞で日本が軍事大国になろうとしているというような記事が出ていたのだろうと思います。戦争の後始末もしていないのに又戦争をするのかと不安に駆られて電話をしてこられたのだと思います。
 何度もその言葉を思い出しながらこれからずっとこの問いに答えていかねばならないとの思いをかみ締めました。

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