第二次不二越訴訟始まる

  未払い賃金と慰謝料支払え!

                     山下英二

 満開の桜が春を告げる3月28日、第二次不二越訴訟のため韓国から金Jさん、N・Hさん、成Sさんが福岡を訪れた。交流会で最初は日本語がうまく話せなかったハルモニたちも、時が経つにつれ苦しかった不二越会社での体験を辛く語った。3人のハルモニは、29日には広島で30日には福山で、関釜裁判を支援する連絡会の支援者と交流を深めながら、富山に向かった。

 31日にはさらに韓国から原告の李Boさん、李Jaさん、金Okuさん、安Hiさん、崔Fiさんの5名も加わり地元北陸連絡会の支援者や、遠く福岡・広島・福山から駆けつけてきた支援者に囲まれて、自己紹介や簡単な打ち合わせを行い、提訴に備えた。

 いよいよ第二次不二越訴訟の4月1日を迎えた。朝7時30分から不二越工場の3つの門に分かれ、出社してくる従業員に「戦時中、不二越に強制連行された被害者は、今未払い賃金と謝罪を要求しています。同じ屋根の下で、油まみれになって仕事をしていた仲間に協力してください」と、横断幕を掲げチラシ配布を行った。8時30分からは原告のハルモニたちと社長との面会を求めたところ、以前は固く門を閉ざしていた不二越会社は、今回は鉄製の門を開けたままで一室に通したが、社長は出てくること無く守衛責任者がハルモニたちの申し入れを受けた。従来と違った対応は、これまで門を乗り越えて面会を求めてきたハルモニたちの必死のたたかいに、恐れを抱きマスコミ取材にソフトイメージをあたえようとする戦術なのだろうか。

 今回は工場周辺を廻り、当時の記憶を呼び戻そうと戦時中の地図と現在の地図を折り重ね捜し歩いた。寮に住まわされ空襲警報のサイレンが鳴ると近くの神社に身を隠して恐怖に震えていたとう場所を捜したが、幼いときの記憶とあまりにも違ってしまっている風景に、ここだと確信を持つことはできなかった。

 午後3時からは、島田弁護士を始め16人の弁護団と8人の原告ハルモニたちの紹介がされ、訴状の提出に向けて富山地裁に入っていった。正面玄関にはたくさんのマスコミ関係者がさかんに写真を取る中、短時間で訴状の提出を済ました。アジア太平洋戦中に、富山市の不二越会社に元女子勤労挺身隊として動員された21人と男子徴用工1人計22人が、国と不二越を相手に未払い賃金と約1億1千万円の損害賠償と、日韓両国の新聞への謝罪広告掲載などを求めて訴えを起こしたたたかいはいよいよ開始された。

 再度、弁護士会館に会場を移し記者会見が行われた。記者からは、二次訴訟では国を被告に加えた理由に質問が集中し、島田弁護士から「国の国策として朝鮮の人々を連行し、軍需工場としての不二越の経営を管理していた国の責任は大きい。本来は国が主導になって被害者の全面的な救済に取り組むべきだ」と強く主張された。裁判に対する原告の思いを聞きたいとの質問に、李Boさんが「最高裁和解ですべて解決したと思っているのは大きな誤りだ。国とともに不二越も責任を認め罪を償って欲しい」と訴えた。

 夕方6時30分からは、市内「サンフォルテ富山」で『4・1第二次不二越訴訟富山地裁提訴全国集会』が開かれた。北陸連絡会の共同代表でもある石川県の漆崎牧師の司会で進められ、最初に2月21日の株主総会のビデオが上映され、朴Soさんの「働いた賃金を支払え」の発言を、強引に封殺する井村健輔社長の姿が映し出されていた。原告紹介と挨拶では成Sさんは「法治国家といわれる日本が法律を守らず違反をしている。60年ぶりに不二越に来て、大きくなった会社を見て驚いている。わたしたちを騙して連れてきて、無理やり働かせたことが今の不二越をもたらしている。これまでの自分を振り返ると悲しいことばかりだ。国と不二越は反省して補償金を出すべきだ」と訴えた。弁護団紹介と挨拶では、島田広、吉川健司、菊賢一弁護士から「日本という国が世界に顔向けができるようにする。今解決させるしかない。当たり前のことが認められるようにしたい」と非常に熱っぽく、正義感に満ち溢れた力強い決意が述べられた。強制連行・企業責任追及裁判全国ネットの谷川透さんからは、最近の最高裁の傾向やILO総会に原告の派遣の提起と、六月に韓国で計画されているシンポの取り組みを報告された。関釜裁判を支援する会は、広島連絡会の土井桂子さんが関釜裁判の経過と最高裁に対する強い憤りを述べ、「道義が成り立つたたかいを」と語った。さらに、福井県の共同代表の李鎮哲さん、不二越から60年代に不当解雇撤回を勝ち取った渡辺英二さんなどから、貴重な体験や裁判への決意が述べられた。

 慌ただしい提訴の日の最後は懇親会だ。原告たちの宿泊所でもあり、支援者の会議や食事もできる「とやま夢ハウス」では高野さん、川渕さんがきめ細かいお世話をしていただいた。そして、通訳としておばあちゃんたちの思いを丁寧に優しく伝える仕事をやり遂げた、李さんの奮闘は頭が下がる思いだ。そして、北陸連絡会の中心的メンバーの新谷さん、中川さんたちの、さまざまの皆さんの思いが重なり合って、困難を乗り越えて第二次不二越訴訟の端緒にたどり着くことができた。

最後に崔Fiさんが故郷の「木浦の月夜」のメロディーに、自分が作った詩をつけた歌を紹介したい。

 ここは日本という国。何十年振りだろう。

 何も分からないとき、どのくらい苦労しただろうか。

 戦時中、生死をかけて父母兄弟に会いたくてどれくらい泣いたか、泣いたか。

 故郷が恋しい。

しみじみと流れる歌に、みんなで涙した。4月2・3日に分かれて原告ハルモニたちは元気に帰国した。第二次不二越訴訟の幕は切って落とされ、支援の輪は着実に広がりつつある。ハルモニたちの思いを大切にし、さらにたたかいを進めていこう。