生きておられる間に謝罪と賠償を

      関釜裁判を支える広島連絡会  土井桂子

 「関釜裁判」他五つの戦後補償を求める訴訟が最高裁判所により上告棄却の決定をされた直後の提訴になり、あまりにも突然知らされただけに思いが定まらないまま、この新たな訴訟で原告たちの当然の要求を実現するための第一歩を踏み出す事になりました。富山では現地の支援者が「第二次不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会」という支援者組織、「北陸戦後補償弁護団」という弁護団の結成や聞き取り調査など大変な準備を進めて来られ、今回の提訴を迎えることができました。関釜裁判の原告だった朴Soさん、柳賛伊(ユ・チャンイ)さん、朴Sunさんも不二越強制連行・強制労働の被害者として原告となられており、最高裁の上告棄却が現実となった今、なんとしてでもこの訴訟で正義を実現しなければなりません。
 二○○一年十月末と昨年七月に取組まれた不二越富山本社との交渉が門前払いになり、今回の提訴になりました。 広島から三人が参加するということで、今回は三一日朝、塚本さん手配のゆったりしたワゴン車で広島駅を出発、福山で二人を乗せて山陽、名神、北陸自動車道を走り、夕刻富山に着きました。二○年生活したという谷元さんの案内で郷土料理を味わい、七時の全国連絡会の会場、原告たちの宿舎の「夢ハウス」に向かいました。二九日に広島にお迎えした光州の金さん、羅Hさん、成Sさんのお元気な様子に再会を喜び、江原道遺族会の五人の原告の中にも懐かしいお顔を見、初めてお会いしたのは全Okさんと崔Hiさんだけでした。宿舎は三人、三人、二人という部屋割りで、原告同志の関係をつくるのにもよかったのではないかと思いました。支援者は桐島さんのお宅に泊めていただく手配ができていました。全日程の車と宿は北陸連絡会の方が用意して下さり、私たちは行動に参加するだけでした。


 四月一日提訴の朝、私たち支援者は不二越富山本社の正門と南門で、出社してこられる従業員の方々にこの訴訟に対する理解と協力を求めるビラ配りをしました。多くの社員がビラを受け取ってくれました。正門は交渉を求めた一昨年十月、昨年七月と違って鉄扉が開いており、原告と通訳の李さんを中心に受付に行って社長との面会を求めました。
 在社中の最高責任者との面会を求めて、入れまいとする警備担当の総務課職員としばらくやり取りが続きましたが、寒さの中結局原告、通訳、支援者代表合計一二人が会議室に通される事になりました。原告ハルモニたちの訴え、漆崎さん、李さん、中川さんの粘り強い交渉の成果でした。当日、韓国と中国から来訪者がある、ということで応接に配慮があったのかもしれません(庭に二カ国の国旗が掲揚されていました)。会社側と話ができたことで原告の方々は随分気持ちが楽になったように見えました。
 その後、戦争中の体験の記憶を確認できないか、と原告の方々に会社周辺を少し歩いていただいたのですが、病院や女子寮、男子寮などは場所が替わっており、あまり記憶に結びつくようなものはなかったようです。会社内の神社を訪ねたい、ということで交渉したのですが、果たせませんでした。マイクロバスの中では昔の歌も出てきて、報告集会で歌っていただこう、ということになりました。
 八人の原告の方々は、記者会見でも、また夜の提訴報告集会でもそれぞれの思いを明確に述べられました。李さんの通訳は「支援者の一人として」ハルモニたちの思いを深く理解したもので、滞日一年にもかかわらず、その勉強ぶりが伺え敬服しました。
 報告集会では挺身隊の歌、当時の不二越社歌、そして「ラバウルの歌」の替え歌が披露され、少女期の記憶がいかに鮮明か、そして成長期の皇国史観教育の影響とその体験の残酷さをあらためて思わされました。
 
崔Hiさんは自分の思いを歌にして韓国の昔の歌のメロディにのせて歌われました。後で聞いたところでは、ソウルから小松に来られる飛行機の中で作られたということでした(今後第二次不二越訴訟のテーマソングになることでしょう)。
 今回イラク爆撃のテレビニュースで昔の体験を思い出し体調不良になって来日出来なかった朴Sunさんもそうですが、「皇国少女」として「天皇陛下のために」両親の願いに背いてまで勤労挺身隊に志願し、戦後は日本帝国主義に協力した者として非難されることを恐れてその苦しかった体験を隠すようにして生きてこざるを得なかった女性たち。五八年ぶりに日本の土を踏み日本語に囲まれて、否応なく覚えさせられた日本の言葉ではあっても、永年押さえ込んできた“恨”を表現することで、自分の本来の力を取り戻される変容を目の当たりにし、ソウルから小松空港見送りまでの全日程の同行・通訳の役を勤められた李さんも感動されていました。
 昨年七月の被害者来日、今年二月の被害者株主総会出席、そして今回の提訴行動の食事や宿泊を提供して来られた「夢ハウス」の川渕さん、高野さんのご協力や第一次訴訟を支援された女性たちも報告集会に参加され、翌日独自の交流会を開かれるなど、現地の支援体制も徐々に拡がっている様子が伺えます。
 「未払い賃金と謝罪を」という当然の要求に、国際機関からの度重なる勧告にもかかわらずいろいろな正当化をしてきちんと向き合わない日本の企業と政府、そしてそれを容認する司法。日本の植民地支配と侵略戦争の被害者補償のための立法運動も緊急課題です。


 私たちを信頼し、親しくしてくださるハルモニたちのお元気なうちに、恨をはらして、自らも自分の国に誇りを持てるような判決を求めるために何をしなければならないのか、アメリカによるイラク攻撃という無法状態が引き起こされている今、武力ではなく、法と理性に基づいた秩序のある社会を築くことの具体的な取り組みとして、 納得のいく判決が出されるよう心を込めて取り組まなければならない、という思いを強くしています。国家と国家よりも国境を物ともしない人と人のつながりの強さが明らかになっていることに希望を見ています。