最高裁和解二周年

 〜 不二越闘争報告(七月八日)

(参加者・土井、都築寿、花房俊、福留)

@富山社会保険事務所との交渉(十時〜十一時半)

  今年四月に着任した杉原所長が被害者と社会保険事務所と不二越のプライバシー保護を理由にマスコミを締め出そうとし、MBCや支援者の抗議によって撤回。厚生年金の脱退一時金の支給が柳賛伊さんに二一円、李Bさん、安Hさんに一八円、李Jさんは六ヶ月未満で不支給。被害者たちは現在の貨幣価値になおすと三万五千円ぐらいになるのに、当時の貨幣価値のままである事に怒りを込めて抗議し、受け取りサインを拒否し金を置いて退出した。

A不二越本社前闘争(十三時〜十四時二十分)

 マスコミの見守る中、被害者四人が元従業員であることを示す書類をかざして面会を求めたが、鉄柵を閉じて「会う事はできない」と名前も名乗らない責任者が繰り返すのみで、女性ガードマンを前面に立てて一○人ぐらいが構内でガードに就き、ビデオ撮影をしていた。石川連絡会代表の漆崎牧師や被害者が切々と面会を訴えたが、全く無表情な対応に終始した。柳賛伊さんが「門を超えて突入したいよ」と怒っていた。帰り際に不二越工場の角の警察署に一○名ぐらいの警察官が待機していたのが判明。昨年秋の門前闘争に比較しても、不二越側の完全沈黙と警護の強化が際立っていた。

B記者会見(十五時〜十六時二十分)

富山教育文化会館

 富山連絡会の渡部代表の司会で、李Bさんが「新不二越訴訟宣言」を読み上げ、それぞれが不二越側の対応に対する無念の思いと訴訟への意気込みを語った。中川さんが今年度中の訴訟を準備している事を説明した。マスコミからの活発な質問があった。

C富山県集会(十八時三十分〜二十時)

 冒頭、門前闘争の模様がスクリーンに紹介され、その後漆崎牧師の司会で始まリ、渡部牧師が不二越側の態度を批判し、被害者とともに闘うと力強く挨拶をした。山田弁護士、被害者や福岡、広島からの発言の後会場からの発言も相次ぎ、盛り上がった集会になった。

 
韓国訪問報告

             花房恵美子
七月二十九〜八月二日、原告を訪ねて、広島の土井桂子、塚本勝彦、福山の都築寿美枝、谷元絢子、福岡の花房俊雄、恵美子が訪韓した。釜山では関釜裁判が始まった頃通訳で来られていた朴ヘレナさんの同行で、昨年の八月に亡くなられた鄭水蓮(チョン・スヨン)さんの家を訪ね、お嫁さんにお悔やみと裁判の経過を報告して、生きているうちに解決できなかった事をお詫びした。お墓は釜山の土地事情でつくられず、散骨されたとのこと。ピアノの上の壁にかけられた遺影に黙祷した。

 姜Yさんと李Yさんには沼津紡績工場を戦後吸収合併した帝人との交渉を報告。

 不二越訴訟に備えて朴Sさんの聞き取り調査をした。柳賛伊(ユ・ チャンイ)さんも元気であったが、私たちと別れたあと体調を崩し、二回ほど病院通いをしたとのこと。
 光州では李金珠(イ・クムジュ)さん、梁錦徳(ヤン・クムドク)さんらの出迎えを受けた。連れ合いが亡くなったあとカトリック教会が運営する老人ホームに入っている李順徳(イ・スンドク)さんを訪ね感激の再会をした。別れ際号泣された。
李君も加わり不二越訴訟に備えて、光州遺会に申告されている成Sさんの聞き取り調査。

 翌日ナヌムの家の朴頭理(パク・トゥリ)さんを訪ね朴博子さんとも合流。夜、能光院長の主催で交流会が開かれ、多いに盛りあがる。朴頭理さんの補聴器からピーピーと電子音がしきりにしていた。耳の慢性的な炎症による耳垂れで補聴器がすぐ壊れるとのことだった。翌朝朴小得(パク・ソドク)さんの聞き取り調査。涙を流して別れを惜しむ朴頭理さんを後にしてソウルに。光州遺族会に申告された、金Jさん、羅FFさんの聞き取り調査。

 詳しくは参加者の報告をお読みください。

 

 

―朴SUNさんからの手紙― (原文のまま)

お元気ですか

いつものように 月々おせわになって

どうもすみませんね

日本も寒いでせうね

韓国はうすこうりまで・・

今 手紙をかいて居る中に

お金と書るいをもらいました。

みな様に あんまり お世話ばかり

かけてすみませんね

しょるいをだしながら 日本のおいしゃさんから 

診さつしたしょるいも いっしょに 会社にだして下さい

くすりを一生がいのんで のんだ後のよく日の くるしみ

くやしくて たまらないですね。

いらない話ばかりかいて すみませんね

つけもの(キムチ)の話は どうですか

お元気でね

  二○○二年一○月二五日