こころの癒し塚本勝彦(関釜裁判を支える広島連絡会)
関釜裁判の原告ハルモニの激励をということで訪韓の誘いにのった。ハルモニに会うのは〇一年三月二十九日、広島高裁判決以降久しぶりだ。キムチ交流会のきっかけとなった釜山の柳賛伊さん、高暮ダムでの現地追悼式に参列された光州の李金珠さん、写りをことごとく嫌われながらも宮島の五重の塔前ではポーズをとられたYさん、階段で手を差し延べたとき「韓国では主人以外の男と手は触れない。そんな行為は許されない」と叱られたソウルの朴Sさんなどハルモニたちの顔がさまざまに浮かぶ。
博多港に集合し打ち合わせを行う。関釜原告ハルモニへの激励と不二越第二訴訟にむけて新たな原告となる人の聞き取りを行うという。年配者に対する聞き取りはうまくゆくだろうか不安が過ぎるが自然体で接することにした。私は初めて「ナムヌの家」に行く。それだけに楽しみにしていた。
「ナムヌの家」は主要道路から谷間に十分あまりいったところにはあった。話に聞き、資料も買ったが初めて立ち寄る。自然豊かで落ち着いたところだ。左手のログハウスの建物は事務所。広場の向こうにハルモニたちが生活する二階建ての近代的建物。左隣の八角形二階建の建物は礼拝塔とでも言うのか内部は畳にして二十枚入りそうな大広間である。広場の左手に新たに資料館ができていた。近日に開館式を計画されているそうだが中に入った。九一年「私は、かって日本軍の性奴隷とされた」と証言(人として怒りの尊厳回復宣言であろう)された金学順さんの写真をはじめ、ハルモニたちが書いた絵などが展示してある。日本軍によって踏みにじられた事実を実証する空間「館」として語り継がれることだろう。中庭の片隅の手洗い場の小石に顔や花が書いてあった。絵を描くことによって過去が癒されたのであろう。あたりの植え込みしてある草花、野菜一つ一つが心の癒しであろう。夕食時、ナムヌの家の居住者がでそろう。夏休みいっぱいハルモニの世話をするという名古屋の男性、白人系外国人(私たちも黄色系外人か)、激励にきた人を合わせて約二十人余りがつどう。食事後の交流会に入る。自己紹介ののち歌が出る。白人系外国人はハルモニたちの人生を音楽で表現したいという。歌もうまい。― 太鼓をたたき ― 朝鮮古典リズムで真っ赤な顔をして歌う。拍手喝采だ。私は、このような場は好きだが歌は苦手だ。二曲ぐらい歌えたらと思うがいまだ練習をしたことがない。気難しそうな朴頭理さんもしだいにふんいきにのせられた。何か家庭の悩みを打ち明けているようだ。機嫌を取り直して歌いだした。
シモネタの歌か意味合いは分からないが歌いころげるような陽気さだ。ハルモニたちも転ばんばかりにはしゃぐ。腹の底から笑い転げる。光州から一緒になった李昇勲氏が農の数え歌であろう歌を披露した。歌詞を聞いて見たかった。
懇親を終えて、中庭の涼み台で朴頭理さんが若い女性にマッサージを受けていた。私も肩をもんだ。私の母と比べものにならないほど分厚く固い肩だった。首筋をもんだ。嫌だといっていたがしだいに頭を預けてきた。肩も首筋もゴツゴツしていた。機嫌がよかったのか夜遅くまで話していた。
翌朝全員で写真を撮った。みんな笑い顔で元気な姿であった。ハルモニたちの心の癒しになったことだろうか。私も深く大きな感動をいただいた。ありがとう。