韓 国 訪 問 記花房恵美子
朴SUさんは、月二回大学病院の精神科に通院してカウンセリングを受けていて、見違えるほどの元気さでした。支援する会から毎月送られる医療費が身心の支えになっているそうです。
柳Tさんは七月はじめスーパーのドアの所で転んで、大たい骨にヒビが入って、入院しておられました。一番元気な人だったのに、寝たきりになったらどうしようと思ったりしましたが、三週間入院、三ヶ月リハビリで歩けるようになるとのことでした(八月六日退院されました)。お見舞いに病室に入っていくと最初に「面目ないです」と日本語で言われ,彼女の悔しさと恥ずかしさがこちらに伝わりました。
一緒にお見舞いに行ったSOさんが、「一緒に富山に行こうよ。早くよくなってよ」、 SUさんが、「わたしのことを死にそうだと言っていたら、自分がそうじゃないか」とからかい、Tさんは負けじと、「富山に行ってまで顔を隠すんじゃないよ。何のために行くのかわからないからね」と、やりかえしていました。
十八日に未だ一度も来日されていない鄭水蓮さんに判決の報告に行きました。前日電話したとき「体のあちこちが痛くて、会いたくない」といわれていたのですが、同じ東京麻糸に動員された姜YOさんと李YOさんに相談して、「今会わないと二度と会えなくなるかも知れない。少人数で行こう」と四人(姜YOさんと李YOさんと花房二人)でタクシーを飛ばして行きました。彼女は末期ガンの苦しみのなかで、自宅で寝たきりになっておられました。伺うと時間をかけて自室から這って居間に出てこられました。話しているうちにしっかりした目になってこられ、「未だ聞く力が残っています」と裁判や企業闘争の見とおしを聞かれました。「解決するまで生きておれないかもしれない」と遠くを見ながら言われると、胸が締め付けられるようでした。
今回は姜YOさんの家に二晩も泊めていただいて、すっかり迷惑をかけてしまいました。「わがまま」ハルモニ三人と日本人四人…尾関さんがこき使われていました。
毎回韓国に行く度に考えさせられますが,今回も感慨深かったです。特に帰国直前にあわただしく見た釜山市の民主公園にある「民主抗争記念館」にはカルチャーショックに近いものを覚えました。
モノトーンの闘争写真や参加者や死者の顔写真、多くの資料の最後に、突然ピンクの美しい花で描かれた“SOLIDARITY”何の花びらか聞くのを忘れましたが (紙で作られていたのかも)それは鮮烈な印象でした。
釜山で民主化闘争を闘った代表的な人々の中にチョウ監督の顔写真がありました。(ひぇーすごい人だったんだ!)
他者との関係が作れず、心に闇をかかえる若者が増え、関係性がますます希薄になっていく日本の共同体と個人の現実を考えるにつけ、民衆の闘いの歴史を公的に残し、その最後のメッセージが「連帯」である釜山やその近郊の多くの人々の誇りをこの記念館に見ます。羨ましいです。
今度来るときは一日かけてゆっくり見てみたいものです。
(今回、テグの李昇勳さんには本当にお世話になりました。)
〜読んでみませんか〜「忘れない勇気」 徳留絹枝著
潮出版社 1997年
原告たちが来日する、裁判を傍聴すると言う『軸』がなくなり、自分たちで戦後補償運動を組み立てていかねばならないと言う困難さに臨んで、私は私たちのこの運動にかける『思い』を今一歩深めて、普遍化していかないと運動は広がらないとの焦燥感に近い思いを抱いています。
「何故ハルモニたちを支援するのか」「どのような社会をめざすのか」「今がどのような時代なのかーナショナリズムとは何なのか」「戦争の記憶を戦争責任の記憶としていかに残すのか」…考えねばならないことは多いです。
たまたま図書館でこの本を見つけて嬉しかったです。
著者は在米ジャーナリストで、一四人のホロコースト・サバイバーやホロコーストの歴史と教訓を伝える仕事をしている人をインタビューし、彼らを通してホロコーストの悲劇を学ぶ意味を思索しています。
著者徳留さんの豊かな感性によって、一四人の方々の「仕事」にかける「思い」がダイレクトにこちらの感性に伝わります。このインタビューを通して彼女の心が深く揺さぶられたことが伝わります。
「生き残ったことに意味があった」と証言するサバイバー、復讐よりも正義を取り戻さねば悲劇がまた起きると、ナチ・ハントを続けるサイモン.ヴィーゼンタール、オーストリアのリンツ教育大学で「ホロコーストの歴史の教え方」を講義しているナチ党員を父にもつ大学教授、ホロコースト後の時代をキリスト者として生きるというアイデンティティの危機を「いったいどうしてこのようなことが起こり得たのか」と問いつづけ、失った信用を回復するために努力する哲学者・ジョン・ロス教授。
読みながら日本でも「日本軍『慰安婦』・南京大虐殺の歴史の教え方」と言う講座があってもいいし、専門的に研究されるとどんなにか豊かな議論ができるのにと思いました。さらにジョン・ロス教授の思索には考えさせられました。読み直してまた泣きました。
次の二冊もいい本でした。
「戦争を記憶する」藤原帰一著 (講談社現代新書)
「二一世紀の子どもたちにアウシュヴィッツをいかに教えるか?」
ジャン・F・フォルジュ著 高橋武智訳 (作品社)
(花房恵美子)